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基本情報
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住所 |
埼玉県入間市春日町2-9-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
西武池袋線入間市 徒歩8分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0429622254 |
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御本尊 |
千手観世音菩薩 |
宗派 |
真言宗智山派 |
創建・建立 |
|
由来 |
新編武蔵風土記稿
入間郡黑須村附新田
蓮華院 新義眞言宗高麗郡新堀村聖天院末 世音山妙智寺ト號ス 境內觀音堂料トシテ 十一石ノ御朱印ヲ慶安中ニ賜ハレリ 開山寂蓮ト云示寂ノ年歷詳ナラス 中興開山覺常ハ萬治元年十一月朔日寂セリ 本尊不動ヲ安ス 本堂ニ撞鐘一口ヲカク 貞享二年ノ鐘ニテ銘文ナシ
觀音堂 本尊千手觀音ノ立像ニテ長三尺 定朝ノ作 相傳フ此觀音堂ハ養老年中ノ起立ニテ其頃ノ本尊ハ行基菩薩ノ作ニテ堂モ今ヨリ廣カリシカ 星霜ヲヘテ永祿十一年祝融ノ災ニ罹リシヨリ今ノ如小堂トナレリト 鰐口アリ其圖上ノ如シ 按ニ此鰐口ノ銘文ニヨレハ 比企郡千手堂村千手堂ノモノナルヘケレト爰ニ持來リシユエンハ知ラス 辨天社 天神社
寺寶 心經一卷 コノ經ハ弘法大師ノ眞筆ニテ ソノカミ尊氏將軍當寺本尊ヲ信仰ノ餘寄附セラレシト云 サレト墨色等當時ノモノトハミエス |
神社・お寺情報 |
武蔵野三十三観音・第18番札所
奥多摩新四国霊場・第74番第76番札所
境内掲示板
蓮花院
木立に囲まれて建つ蓮花院では、一年中、鳥の声を聞くことができます。正面にあたる観音堂は、正面五間、奥行き六間の総欅、方形造り瓦ぶきの屋根を持った大規模な建築で、虹梁や欄間に見られる彫刻は精巧なものであります。
境内掲示板
千日回向名号塔
市指定有形民俗文化財
指定年月日 平成二十八年六月一日
「南無阿弥陀仏」の六文字を刻んだ石塔を「名号」と呼び、蓮華院の名号塔は市内唯一のものである。
塔の正面には「千日回向所」、正面と左右側面には「南無阿彌陀佛」と戒名並びに逆修供養の人を含めた法名や俗名等総勢五〇人の名前が刻まれ、これらの人々の冥福と極楽往生を願って千日間の念仏供養を行い、それを記念して延宝九年(一六八一)に造塔したとみられる。また、左右側面には、現入間市、狭山市、飯能市と日高市の一部の地域に広がる約五〇か村の名とそれぞれの人数が刻まれ、人数は合わせて約二五〇〇人を数える。これらの人々は念仏供養や造塔への助力など、何らかの形で関係したと思われる。
左側面左下には「石や太郎兵衛」と石工の名前が彫られている。石工名が刻まれている石塔としては市内だけでなく近隣でも最古のものである。
この塔は、江戸時代前期における念仏信仰の様相を示すものであるとともに、石工名を刻んだ当地域最古の名号塔として貴重な資料である。
平成二十九年九月
入間市教育委員会
入間市文化財保護審議委員会
境内掲示板
蓮花院観音堂 付勧進帳
市指定有形文化財(建造物)
指定年月日 平成三年八日一日
蓮花院は、鎌倉時代のはじめに歌人としても知られた寂蓮法師が開いたと伝えられている黒須の名刹である。寺の記録によると、現在の観音堂は天保六年(一八三五)に再建されたもので、桁行三間梁間四間総けやき、寄棟造り桟瓦葺きの堅固で大規模な建造物である。虹梁や欄間に見られる彫刻は精巧なものであり、内陣の格天井には格間一六五枚に江野梅青(東松山市出身)の手になる花鳥の色彩絵が描かれている。画題は花鳥六八点、花木七九点、鳥一八点で、それぞれに寄進した当地黒須の人々の名前一五〇余人が墨書されている。また、須弥壇両脇の天井に描かれた飛天の天井絵は梅青の養父江野楳雪(東松山出身)の手になるものであり、外陣の鏡天井に描かれた龍は市内宮寺出身の画家吉川緑峰の筆になるものである。
勧進帳は、「観音堂再建勧化牒」と題され、その序文に蓮花院の縁起と観音堂再建発願の主旨を記している。天保四癸巳年十二月二十三日に発願されたものであり、願主現住隆光、隠居隆竇、世話人繁田武兵衛他四人、組頭水村卯兵衛他五人のほか寄付者の名前が多数記されている。
平成三年十二月
入間市教育委員会
入間市文化財保護審議委員会
境内掲示板
蓮花院の鰐口
市指定有形文化財(工芸品)
指定年月日 昭和四十七年十月二十日
蓮花院の鰐口は直径約三十八センチメートル、厚さ約十センチメートル、重さ約五・二五キログラム、古色をおび重量感にあふれた室町中期(寛正二年・一四六一年)の作品である。この鰐口の表裏には銘文が刻まれており、これによると釜形四郎五郎が小用村(比企郡鳩山町)の鋳物師松本に造らせ、比企郡の千手堂に奉納したものらしい。
蓮花院伝来の理由は定かではなく、『新編武蔵風土記稿』の黒須村の頃にも鰐口の所在について「比企郡千手堂村(現比企郡嵐山町千手堂)にある千手堂のものなるべけれどここに持ち来りしゆえんは知らず」と記している。かつて蓮花院の付近にあった真観寺の井戸から引き上げられたという伝承が残っている。
〔銘文〕(表)
奉施入武州比企郡千手堂
鰐口大工越 松本
寛正二年辛巳十月十七日
願主釜形 四郎五郎敬白
(裏)
妙阿
榮滿
平成四年十二月一日
入間市教育委員会
入間市文化財保護審議委員会
境内掲示板
木造千手観音菩薩立像
市指定有形文化財(彫刻)
指定年月日 平成二十八年六月一日
蓮華院観音堂の本尊(秘仏)で、頭頂から足元までは像高一〇四・五センチメートル、頭部に十一個の変化面をそなえ、正面中央の合掌手・宝鉢手の四臂を含め四十二臂の千手観音像である。頭髪に群青彩、髭・眉に墨彩、ロ唇に朱彩を施す以外は、木の肌を生かした素地仕上げの像で、目及び眉間上の白毫には水晶を嵌め込んでいる。
榧の一材で造られ、頭部・体部を前後に縦割りして像内を内刳りし、再び矧ぎ合わせた割矧ぎ造の構造を用い、また、頭部は三道(首の三本のしわ)下に鑿を入れて体部と割り放ち、再び接合した割首の技法をとっている。宝髻・頭上面・脇手・合掌手・足先等の細部は別材としている。
像内に残る銘札には、前年焼失した本尊を、天文十六年(一五四七)に根岸(現狭山市)光明院の法印覚重が願主になり、鎌倉仏師長慶が再興した旨が記されている。
この千手観音菩薩立像は、秀麗な面貌を持ち、保存状態も良好で、市内に残る中世仏の中にあっては、造立事情、制作者、制作年を明らかにする基準的な作品として文化 財的価値が高い。
平成二十九年九月
入間市教育委員会
入間市文化財保護審議委員会
境内掲示板
彰義隊遭難者の碑 付地蔵
市指定文化財 (史跡)
指定年月日 平成十五年八月一日
この地蔵は、扇町屋で起きた彰義隊士殺害事件の後、村人が隊士たちを供養するために建立したものである。
当初は、県立豊岡高等学校正門付近に建っていたが、道路拡幅工事など度重なる移転の末、今は当蓮花院に他の無縁仏とともに安置されている。
台石には正面に「北 くろすみち」、右面に「西 町屋道」、左面に「東 いりま川道 かわこえ道」、裏面に「南 とうきょう道」と刻まれており、当時の道標を兼ねていたことが分かる。
平成十七年三月一日
入間市教育委員会
入間市文化財保護審議委員会 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2025/03/16 19:51:40
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