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基本情報
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住所 |
新潟県新発田市中央町三丁目1番15号 |
五畿八道 令制国 |
|
アクセス |
JR羽越本線新発田 徒歩9分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0254-22-6843 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
火産霊之神(ほむすびのかみ)
菅原道真命(すがわらみちざねのみこと)
大物主神(おおものぬしのかみ) |
創建・建立 |
天文年間(西暦1532~1555年) |
旧社格 |
村社 |
由来 |
【頒布-リーフレット】
愛宕神社(天満宮) 参拝のしおり
*由緒
旧記文献等は散逸罹災により、創立年代天文年間としかなく正確には得らざれども火防の神を祀っていて、院名を〝明王院〟と言った。
現在の記録によれば天文3年頃(1534)当時の新発田城主佐々木因幡守が火防の神を祀った。
〝明王院〟を厚く信仰した。
城中はもとより諸衆人達にも広く信仰があり、当時の社地は千坪以上と広く、天神堂金毘羅堂が建っており、ことに道路は明王院まででこれより先(現在の駅方面の道)道路はなく、立売町、万町方向しかなかった。
(現 大栄町七丁目の道)明王院と言うのは修験の山伏の院であった。
溝口公入国により山伏(藩内法院数50院)の解頭(フレガシラ)を与えられ又、天神領分、田1町歩、米10俵を与えられた。
慶長5年(1600)火防の神として、溝口秀勝公より溝口家の守護神たる由と記されている。
藩の中堅クラスの諸奉行の武家屋敷として社地を上知したため社地が減少した。
延宝8年(1680)溝口公入国の際持ってきた〝将軍地蔵〟を明王院の社地に地蔵堂を建立し祀った。
享保4年(1719)に火災に罹、居宅共類焼し、宝物、古文書類等多数焼失した。
享保10年(1725)社殿再建される。
明治3年(1870)神仏分離の通達があり法院より神主となり、後県より村社の社号を当えられ同時に境内地にありし天神堂、金毘羅堂等を合祀し、明治10年10月(1877)〝村社愛宕神社〟と変更する。
旧上町、中町、十八区の氏神様でもあります。
又現在も学問の神を祀った北蒲唯一の神社のひとつであり、天神様として大変親しまれ、広く信仰があり、参拝者が多数おとずれます。
明治40年(1907)の県道路拡張工事の為境内地を上知した(この頃始めて駅方面へ道路開通)昭和45年(1970)都市計画により社殿移動かつ境内地減少と成り現在にいたる。
⦿地蔵堂町の由来
延宝8年(1680)溝口秀勝公が入国際金沢より持って来た〝勝軍地蔵〟を境内地に祀ったことでこの周辺を地蔵堂町と言った。
(前記したが社地を上知し藩士の中堅クラスの武家屋敷15、6軒の町内であった。尚昭和25年(1950)住居表示の法律より昭和39年(1960)より中央町三丁目となる。) |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
4月24日・25日 天満宮祭
7月23日・24日 愛宕例祭
10月11日 琴平例祭 |
神紋・寺紋 |
溝口菱
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更新情報 |
【
最終
更新者】龍太郎
【
最終
更新日時】2019/08/20 21:00:43
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