埼玉県春日部市藤塚429 藤塚香取神社の写真1
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埼玉県春日部市藤塚429 藤塚香取神社の写真3
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 3.7

藤塚香取神社  (ふじつかかとりじんじゃ)


埼玉県春日部市藤塚429

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54
ばんび99さん
2023年1月2日 10:25

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ムンクさん
★★★★ 参拝日:2023年11月11日 08:48

shikigami_hさん
★★★ 参拝日:2023年1月29日 13:38


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0
131
thonglor17さん
★★★★ 参拝日:2021年12月18日 11:01

ロビンさん
参拝日:2021年9月5日 14:05

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基本情報


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住所 埼玉県春日部市藤塚429
五畿八道
令制国
 
アクセス 東武伊勢崎線一ノ割 徒歩10分
御朱印授与時間
電話番号
FAX番号
公式サイトURL
御祭神 経津主神
創建・建立 天生6年
旧社格 旧村社
由来 境内掲示板
香取神社記
御祭神 経津主命
御神徳 武の神 国土開拓の神であり心願成就産業(農工商)健康の守護神でもあります。
御由緒 桃山時代の天正六年(一五七八年)現在の千葉県佐原市の香取大神を五穀能成万民豊楽の神として東国寺開山の光誉上人がここに勧請したものです。その後江戸時代享保十三年(一七二八年)七月社殿を造営し同年十一月神社管領より宗源の宣旨を以って正一位香取大明神の神位を授けられました。現在の社殿は昭和四十九年十月二十四日氏子崇敬者の御奉賛により新たに造営され同年十一月三十日奉祝祭が執り行われました。
 昭和五十七年一月一日
  香取神社氏子総代会
(尚此の社記は旧社記を基に平成六年新しく作り替えたものです)祥陽謹書
神社・お寺情報 境内碑
建築記念
敬神崇祖は建國創業の大本にして協同和樂は社
會進展の先驅たり而して神社の尊嚴と公正なる
施設とは此主旨を貫徹する由縁にして生等の希
ふ所亦實に是に存す爰に大正十三年冬新川島の
社木を伐り社務所兼公會堂の建築を企つるや氏
子諸君の熱誠なる贊助により許多の資金幷に勞
力の寄附を得工人諸氏亦喜んで勞力若くは浄財
を提供せられ十四年秋其工全く竣る時恰も關東
大震災の後を承け而も其圓滿に完成するを得た
るは實に神靈冥護の致す所にして且は機運の圓
熟に由る者といふべし自今靈境は一段の荘嚴を
加へ祭典○亦彌々嚴粛に奉行するを得ん若し夫
屢々公私の會同を此○に行はんか眞に敬神の本
義に合ひ又克く團樂の誼を厚くするを得べし是
此建築の使命に〇て多年の願望始めて達せらる
ると庶幾ならんか
大正十五年五月
   建築委員一同

境内碑
遷宮記念
藤塚香取神社由緒
 当社は経津主尊を御祭神とし、五穀成就万民豊楽霊験
あらたかな〇〇○として永く住民信仰の中心であった。
 この地は古くは奥東京湾内に利根の水流によってできた砂
丘であって周囲は雑草の生茂る湿原であった。先祖がこの地を足
掛りとし、あらゆる困難を超えて現存の姿に拓き得たのも一に氏
神の御加護に依るものである。
 社殿は天正年代にはじめて建てられたと伝えられている。此の
度改築された社殿は寛政元年遠藤源蔵等の発願により宝
誉一人によって内陣と共に建てられ優れたものであったが既に改
築の機が迫っていた。時偶々従〇○〇○二百戸〇〇○った藤塚
住宅地として急速に発展し二千戸を数えるに到った。この機に
住民の盛り挙がる熱意により社殿並び社務所を新築し
本日遷宮の盛儀を挙げることができた。
 ここに先人の〇○を偲び住民の幸福を祈念して碑を建つ。
昭和四十九年十一月十日   撰書○向凞

境内碑
玉垣造営記念碑
 天皇御在位六十三年の時にあたり、先人がこの地を拓き、大水害、台風、大震災、また数度に亘る国難にも耐え、経験した幾多の困難と努力によって、今日、昭和年代の最も成熟した文明、豊かな生活文化時代となった。この時、氏子中相集い、千年の森、御神木の棚石、玉垣の築造、鳥居建立などの神域づくりに奉仕する次第となった。
 当神社の近年史に、又、今日あるは初代細川寅末、島村泰市、日向凞、金子政蔵、各歴代会長、宮司吉田清丸、総代、地区長、各位の貢献、氏子中の奉仕協力の賜物であります。
 この地の自然、住民の営みにあって、明治以来豊野村として栄え、時代の発達は鉄道に始まり付近駅の開設、国県道の改良、昭和八年藤塚橋の開通は交通利便の地となった。
 時の進展は昭和二十九年春日部市となりその一員となった。農村都市から四十年代に入り、武里公団住宅に始まり、この地藤塚にも木下工務店により文化村の開発、指導者を得て六軒地区、本田上、新川など土地区画整理事業による広範な新しい街づくりが行われた。学校、病院、銀行、消防署、公民館など整い面目一新し、自然と人と人との融和と文化は日一日と高まり新ふる里へと進んだ。
 時代の技術革新は未知の世界を拓き、テレビ、コンピューター、マイカー、新幹線、ジェット機、家電製品など驚きと喜びと幸せを与えてくれた。物質文明の時代にも、先人の素朴で力強く、扶け合って生きぬき、家と村を興し心豊かな里として引き継がれた心と御神徳は最高無限のものであり、いつも神社はその中心にあった。
 今回の神域づくり事業に際して、氏子中、各団体、施工関係者各位の格別なるご協力によって見事立派な完成を見ることができ最高の喜びであり深く敬意と感謝の意を表する次第であります。
 氏神のご加護によりこの地の限りない発展と氏子中の幸せを祈念し碑文といたします。
  昭和六十三年十月二十三日
   氏子総代会長 遠藤重二郎
例祭日
神紋・寺紋 未登録
更新情報 【 最終 更新者】管理者
【 最終 更新日時】2023/11/22 17:39:47
 
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