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 3.5

堀兼神社  (ほりかねじんじゃ)


埼玉県狭山市堀兼2221

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17
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基本情報


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住所 埼玉県狭山市堀兼2221
五畿八道
令制国
東海道 武蔵
アクセス 西武新宿線入曽 徒歩27分
御朱印授与時間
電話番号 049-235-1682
FAX番号
公式サイトURL
御祭神 木花咲耶姫命  大山咋命ほか五神
創建・建立
旧社格 旧村社
由来 境内掲示板
堀兼神社
所在地 狭山市大字堀兼二二二一
 堀兼神社の祭神は木花咲耶姫命で、合祀神として大山咋命ほか五神を祀る。
 社伝によると、景行天皇の四十年に日本武尊が東北のえぞ征伐の帰途この地に立ち寄ったところ、土地の人々が旱害に苦しんでいるのを見て、富士山に祈願したら、たちまち清水が湧きだした。そこで土地の人がこのゆかりの地に浅間神社を創建したのが始まりだという。
 その後、江戸時代に至って慶安三年(一六五〇)、川越城主松平伊豆守信綱が深くこの神社を崇敬し、家臣の長谷川源衛門に命じて社殿を再建させた。
 明治維新後は「堀兼浅間神社」と称していたが、明治五年に村社となり、同四十年から同四十二年にかけて村内の神社十二社を合祀し、社名を現在のものに改称した。
 境内にある「堀兼の井」は武蔵野の高燥台地の飲料水井戸として古くから有名であり、県指定旧跡。またバラモミは県の天然記念物に指定されている。
 なお、堀兼神社の社叢は、昭和五十八年にふるさと埼玉の緑を守る条例に基づく「ふるさとの森」の指定を受けている。
  昭和六十年三月
   埼玉県
   狭山市
神社・お寺情報 境内掲示板
堀兼神社(富士浅間社)本殿厨子 附 棟札一枚
  市指定文化財 工芸品
  所在地 狭山市大字堀兼二二二〇番地一 堀兼神社
  指定年月日 平成二十九年二月一日
 堀兼神社が建つ地は、古の井戸「ほりかね井」の所在地の一つと伝えられていましたが、江戸時代にはその井戸はほとんど埋まっていました。これを知った川越奉行の長谷川源右衛門は、慶安三年(一六五〇)に新田開発された堀金(兼)村の誕生に合わせ、井戸を掘り返し、さらに自ら願主となって浅間宮を建立しました。それから二十八年後の延宝六年(一六七八)、荒廃が進んだ浅間宮は川越城内三芳山廣福寺の僧・憲海と地元の人々により再建されました。その時に本殿に納められたのが現在の厨子で、「延寶六年」という棟札の記述からその事実が判明しました。
 本殿厨子は木造、黒漆塗りで、高さ一八六・八cm、奥行き一〇九・五cm、肩幅一二六・八cmの一間社入母屋造りで、唐破風の向拝が付き、屋根は彫刻で瓦葺屋根風に見せます。左右の扉と隅柱の間には、向かって右に昇り龍、左に降り龍、梁の上部にはには鳳凰が彫られ、木鼻には正面に獅子、側面手前に獏、奥に象の彫刻があります。これらの彫刻は全面金箔押で、部分的に残る顔料から、建立当初は鮮やかであったと思われます。
  平成二十九年八月
   狭山市教育委員会
   狭山市文化財保護審議会

境内掲示板
随身門及び二神像 市指定文化財 建造物
  所在地 狭山市大字堀兼二二二〇堀兼神社
  指定年月日 昭和六十一年十一月一日
 この随身門は市内唯一のもので、創建は不詳ですが、万延元年(一八六〇)に神像を塗替えたとする記録があるので、江戸時代後期には既に存在していたと考えられます。
 建物は桁行六・八五メートル、梁行四・一二メートルで、単層入母屋造りの八脚門です。屋根は当初草葺でしたが、大正十四年に銅板葺に改造されました。その際に斗組と屋根化粧材は新材に替えましたが、柱、地覆、腰貫、頭貫、台輪、丸桁は当初材を伝えています。
 随身とは、平安時代以降に上皇や貴族が外出するときに武装して警護にあたった人のことです。日本の神道においては、神を守る者として安置されており、随神とも書かれます。
 この二神像は、向かって左側が豊磐間戸命・右側が奇(櫛)磐間戸命で、俗に矢大神、左大神と呼ばれています。
  平成二十七年二月
   狭山市教育委員会
   狭山市文化財保護審議会

境内掲示板
随身門改修記録
淺間社創立は慶安三年(西暦一六五〇年)五月なるが随身門創□は詳かならず
万延元年庚申年九月五日御開帳の年富士淺間左大臣右大臣□塗替仕様書に総金襴仕上□分と記録あり
明治二十六年十二月二十九日随身門葺換誌の棟札あり
明治四十一年淺間神社改築の年左大臣右大臣の塗替
大正十四年草葺屋根を銅葺屋根に改造
昭和四十一年九月十五日颱風のため大破復旧工事
昭和四十三年十一月塗替改修着工

昭和四十四年四月十五日竣工
  堀兼神社氏子会

境内掲示板
随身門の塗替を記念して
 今回狭山市の助成並びに益田塗料店の御奉仕を戴き隨身門の塗替えが行われました。当堀兼神社の由緒はこの境内に建てられた昭和四十六年三月の埼玉県狭山市記載の別立礼にあります。随身門の今日迄の経過、建築樣式は昭和六十三年三月狭山市教育委員会同文化財保護審議会の立札と昭和四十四年四月十五日堀兼神社氏子会の記録板札に詳しく書かれていますが、当社の建築物について、本拝殿以外の建物の建立年の記録が乏しく建立年を正確に知る事は困難ですが、この随身門下浅間神社は文化敗としても優れて居りますので少し検証し記して置きます。
 この随身門は新編武藏風土記稿(文化七年「一八一〇」~天保元年「一八三〇」編纂)に仁王門として記載されて居りますが、それより何年前に建てられたか不明です。 慶安三年(一六五〇)川越城主松平信綱公が社殿を再建された記録には宮殿一宇(宇は建物を教える語で一社となる)とあります。末社随身門は後年の建立と思われますが、中宮(本社内の厨子)は当時の作と思えます。
 その後延宝三年(一六七五)川越城主の浅間免の引証及び同年松平伊豆守樣御検地帳に末社下浅間神社稲荷神社山王宮の記載があり、この前からこれら末社はお祀りされていたのが判りますが、下浅間神社の社殿の建立年代を知る事は出来ません。
 江戸時代から明治時代に浅間信仰は盛んになり、江戸(東京)始め当地方にも富士塚が各地に建てられましたが、当社は萬延元年(一八六〇)に小御嶽神社を中腹に祀り 下浅間神社と合わせ、規模の大きい格調の高い富士塚が完成し今日に至って居ります。
 平成八年四月五日
  堀兼神社々務所

境内碑
一ノ鳥居改築記念碑
 当神社には、古来よ鳥居がありました。慶安三年(一六五〇年)川越城主、松平伊豆守の信綱の命により、長谷川源右衛門が、社殿建立の折に再建されたと想われます。
 寛文五年(一七九四年)十月十八日、名主・組頭等により、改築されました。
 後、昭和二十八年(一九五三年)一月十八日、当時の、総代・有志・地元大工により、改築奉納され神域の門として、参拝者を見守ってまいりましたが、経済成長に伴う変化(道路の嵩上げ・酸性雨等)により、短年にて傷みがひどく、この度、氏子会員を始めとして、多くの皆様の、奉賛を賜り、境内の欅を使用して改築をいたしました。
 尚、額は堀川神社の本宮である、北口本宮富士浅間神社(富士吉田市)上文司厚宮司の謹書を基に制作されました。
 平成二十一年十一月二十三日
  堀兼神社社務所

境内掲示板
天満宮改築記念碑
当社は景行天皇四十年(西暦一一一)日本武尊御自ら富士浅間神社を勧請され創建されました。江戸時代中頃この天満宮二社は境内社として当地の祖先達により祀られました。
今度社殿の老朽化を憂いた氏子総代等、鎮座地を改め社殿を改築しました。
天満宮の御祭神は菅原道真公で学業守護、学問上達、入試合格の神として仰がれています。

境内掲示板
堀兼井由来記
 堀兼井は埼玉県入間郡堀兼村大字堀兼富士見台にありてその名夙に歌書旧記に顕る。村社堀兼神社は木花佐久耶姫など十二神を奉祀す。相伝う、景行天皇の御世皇子日本武尊東征の帰途、皇軍をこの地に駐めさせらる。軍中飲料水に乏し尊□かに富士山を拝して神佑を乞い、井の堀鑿に從がわる。此地高□にして水脈に乏し。辛苦経営その功を、竣えさせられたりと。堀兼は即ち掘り難しにして工事の容易ならざりしをいう義なり。而して堀兼神社に冨士の神を祀り、鎮座の地を富士見台というもまた尊に起因すと伝えらる。堀兼の井という名が古書に載せられしは清少納言の枕草子を始めとす。続きて千載和歌集、藤原俊成詠あり。爾来八雲抄、山家集、玉集夫木抄、義経紀、回国雑記などに見えしを主とし、その他一々快挙に遑あらず。かかる名所も室町時代に争乱相つげる世にありては全寒煙荒草の裏に埋没せしが、徳川幕府を江戸に開き、文教粛然として興隆するにおよびようやく保存の曙光を見たり。
 慶安年間松平信綱川越城主たりし頃、家臣長谷川遂能をして浅間神社を再建せしめ武運長久を祈らしむ。越えて宝永年間川越侯秋元喬知その家臣岩田彦助をして井の周囲に石囲いを設り、以って崩壊を□□□め傍に一碑を建て井蹟なることを□し後監に備えしむ。爾来里人その名蹟なるを知り、天保中清原三位宣明の詩を請いこれを石に鐫し井側に建立す。
 これらの諸碑は皆伝わりて今日に存せり。
 万延元年さきに秋元侯の手になりし石囲いの外側八角形の石垣を築き、明治三十三年更にこれを修理す。大正十三年本県は保存資金として県費若干を交付す。これ本県史蹟名勝天然記念物調査会がその要を認めたるに因る。
 同村有志これを機として堀兼の井保存会を組織し先ず井の由来を世に知らしめとし文を余に求む。余不敏を以って是を本県に置く。村民なお故追遠の志厚を感じ沿革の大較を錄してこれを与う。
 冀う所は堀兼村の名が井と共に天下に噴々たることに他ならさるなり。
 大正十四年四月
  埼玉県知事従四位勲三等斎藤守圀撰

境内碑
此凹形之地所謂堀兼井之蹟也恐久而
遂失其處因以石井欄置坳中削碑而建
其傍併以備後監
    里語掘而難得水故云尒以兼通難未知只從俗耳
寶永戊子年三月朔

境内碑
堀兼井
何人甞喚掘兼名石甃
苔埋眢井泓傳道
神孫勞勉跡遺恩世
濟蒼生
   正三位清原宣明
天保十三年夏五月
  宮澤建之


境内掲示板
堀兼の井 県指定文化財 旧跡
  所在地 狭山市堀兼二二二〇堀兼神社
  指定年月日 昭和三十六年九月一日
 「武蔵野の堀兼の井もあるものをうれしく水の近づきにけり」(千載集、藤原俊成一一四~一二〇四)という歌にもあるように、堀兼の井は古くから書物に現われ非常に有名なものです。しかし、武蔵野には、数多くの「堀兼井」と称されるものがあったと推定され、この堀兼神社境内にある「堀兼の井」が古くから言われている「堀兼の井」かどうかはわかりません。しかし、江戸時代から史跡として知られた場所であったことは間違いなく、宝永戊子年(一七〇八)の「堀兼井碑」や、天保十三年(一八四二) の碑も現存しています。
 この井の形態や使用法は入曽の七曲井と同様と考えられ、昔は重要な役割を持っていたと思われます。
 藤原俊成の歌のほかにつぎのような歌もみられます。
「あさからす思へはこそはほのめかせ堀金の井のつつましき身を」
  俊頼集 源俊頼(一〇五五~一一二九)
「くみてしる人もありなん自づから堀兼の井のそこのこころを」
  山家集 西行法師(一一一八~一一九〇)
「いまやわれ浅き心をわすれみすいつ堀兼の井筒なるらん」
  拾玉集 慈円(一一五五~一二二五)
   平成二年三月
    埼玉県教育委員会
    狭山市教育委員会
例祭日
神紋・寺紋 未登録
更新情報 【 最終 更新者】thonglor17
【 最終 更新日時】2022/08/16 13:13:40
 
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