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★★★★★ 参拝日:2017年9月23日 00:00
参拝に訪れた時、丁度結婚式の始まりで、白無垢の花嫁さんが❗お幸せに~☺
★★★★★ 参拝日:2016年7月19日 00:00
★★★★ 参拝日:2020年8月14日 11:30
諏訪大社四社をまわると特製「きんちゃく」をいただきました。
★★★★★ 参拝日:2020年1月23日 14:50
信濃国一之宮。 延喜式内名神大社。官幣大社。別表神社。 諏訪大社巡り2社目。 諏訪大社はどこも大きな駐車場があるので安心です。 本宮駐車場からお店の間を抜ければ北参道の大きな鳥居です。 左側に手水舎があり、その奥には明神湯という温泉の手水があります。 そこを左手に曲がって奥まで歩けば東参道の入口御門です。 ここから入るのが昔からの参拝路。 諏訪大社4社の中でも一番大きいという境内。 参拝所の前も広々としており、清々しい気でいっぱいでした。
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住所 | 長野県諏訪市中洲宮山1 |
五畿八道 令制国 |
東山道 信濃 |
アクセス | JR中央本線茅野 徒歩36分 |
御朱印授与時間 | 8:30~17:00 |
電話番号 | 0266-52-1919 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://suwataisha.or.jp |
御祭神 | 本宮:建御名方神(たけみなかたのかみ) 前宮:八坂刀売神(やさかとめのかみ) 神体:御山(神体山) |
創建・建立 | 不詳 |
旧社格 | |
由来 | 我国最古の神社の一つであり、信濃國の国造りをなされたのち、日本国土の守護神としてこの地にお鎮りになり、信濃國一之宮として皇室武門および一般の信仰が厚く、全国一万有余の諏訪神社の総本社です。
幣拝殿と片拝殿のみで本殿を持たない、諏訪造りという独持の様式。徳川家康が造営寄進したと言う四脚門など貴重な建造物が数多く残っております。六棟は国の重要文化財に指定。 JR中央線上諏訪駅から東南へ六キロ、守屋山の山麓で中部地方唯一と言われる原生林に抱かれる如くに鎮座しております。 諏訪大社は社殿の四隅におんばしらと呼ぶ大木が建ち幣拝殿や左右片拝殿が横に並び、本殿を欠く等社殿の配置にも独特の形を備えています。 中でも本宮は諏訪造りの代表的なもので、建造物も四社の中で一番多く残っています。また神体山を拝するという大きな特徴を持ち、祭祀研究の上からも注目されておりま す。 境内のほぼ真中に東宝殿、西宝殿と言う二棟の茅葺の建物があります。本宮で最も大切な御社殿で、寅年と申年毎に交互に建替がなされ遷座祭が行われます。軒からはどんなに干天の日でも最低三粒は水滴が落ちるといわれ、七不思議の一つに挙げられ、諏訪大神が水の守護神として広く崇敬される根元にもなっております。 本宮の昔の建物は極彩色が施されておりましたが、天正十年(1582)に織田信長の兵火のため、山中に逃れた神輿の他はすべて焼失しました。 この時まず仮殿が作られ順次再建され社殿は元和三年(1617)に完成しました。その後約二百年を経て諏訪藩主に依り社殿の改が計画され、立川和四郎二代目富昌が上社棟梁と共に事に当り、天保二年から九年(1838)迄八年の歳月を要し現在の社殿が落成し、立川流の代表的建築物と言われえております。尚旧殿の拝殿は嘉永二年(1849)に郡内の富士見町乙事の諏訪神社へ移築され、桃山時代の代表的建造物として重要文化財に指定 されております。 本宮最古の建物は四脚門で、慶長十三年(1608)に徳川家康が家臣大久保石見守長安に命じ、国家の安泰を祈願して造営寄進したもので、別名を勅使門とも言います。 神楽殿は文政十年(1827)の建立で、色々な神楽が連日行なわれていたようですが、残念なことにその神楽は現在絶えております。中にある大太鼓は江戸時代のもので、唯今では大晦日のみ打つことにしております。 |
神社・お寺情報 | 信濃国一ノ宮
全国一万社を超える諏訪神社の総本社 諏訪湖の南北に上社と下社、上社は前宮と本宮に分かれる。 一般に風雨の守護神と仰がれ五穀豊穣・生活万般を掌る神として崇敬を集める。 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 諏訪梶 |
更新情報 | 【
最終
更新者】マ-ちゃん 【 最終 更新日時】2023/10/30 16:58:08 |