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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県さいたま市北区吉野町1-36-2 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
埼玉新都市交通伊奈線今羽 徒歩6分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0486634967 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
真言宗智山派 |
創建・建立 |
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由来 |
新編武藏風土記稿
足立郡吉野原村
淸淨院 古義眞言宗高野山法性院ノ末長松山靑蓮寺ト號ス當寺ノ草創ヲ尋ヌルニ古ヘ當村ニ岸將監トイヘル人アリ佛法歸依ノモノナリシカハ己カ屋敷ニ庵室ヲ結ヒテアル如法ノ僧ヲ置行基ノ刻メル阿彌陀ノ像ヲ安セシカ其後天正二年村民等相謀テコヽニ移セリト云カノ將監カサキニ基ヲ起セシ頃村ノ庄屋ヲ勤シユヘ土俗庄屋坊ト呼ヒ未タ寺號モナカリシヲモテ時ノ住僧壽傳今ノ寺號ヲ銘スト云此頃ノ寺地ハ今境內ニアル稻荷社ノアルアタリナリ後寬永四年熊澤彥兵衞當所ヲ支配セシトキ若干ノ地ヲ免除セリ此時ノ僧空圓ナルモノ高野山ニユカリアルヲモテ同寺ノ末ニ隸ス因テコレヲ法流ノ開山ト稱ス本尊不動ハ寶永二年地頭戶田中務大輔カ寄附ナリ 稻荷社 阿彌陀堂 閻魔堂 鐘樓 享保十二年ノ鐘ヲカク |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
埼玉県指定有形文化財
絹本着色両界曼荼羅
昭和三十三年三月二十日指定
所在地 大宮市吉野町一-三六-二
所有者 清浄院
曼荼羅という言葉は梵語から出ています。本来の意味は祭壇・道場(悟りの場)等を指していますが、それが転化して、祭壇上に祭られる緒仏の集会の様子、悟りに到達した世界の様子、またその境地にあらわれる功徳などを示した絵画をいうようになりました。神秘的・象徴的な密教の宇宙観を物語る仏教絵画です。
両界とは金剛界と胎蔵界のことで、この二つを合わせて両界曼荼羅といいます。図はともに、密教の最高至上仏である大日如来を中心に緒仏諸菩薩等が整然と配列されています。金剛界は大日如来の知徳を教え示したもので、九会から成り、一四六一尊の仏菩薩等が描かれています。胎蔵界は大日の慈悲の徳をあらわしており、図様は十三院から構成され、四一四尊の仏菩薩等が配されています。これらは表裏一体の関係にあって、真言密教の根本教理をあらわす重要な図像です。古くは壇上に置いて加持祈祷の儀式に用いられました。
清浄院に伝わる曼荼羅の伝来は明らかでありませんが、古く廃寺となった市内今羽の三明院に伝わっていたものを、当院に移して今日に伝えたものともいわれています。現状で縦九五センチメートル、横七六センチメートルを計ります。
絹地に緒尊・密教法具等が極彩色で描写され、古色のうちに優雅な品位を備えています。各尊の面相はいたんでいますが、像容の輪郭はよく残っており、すぐれた描写の筆跡がみられます。表装は襦子地に金泥の描表装で、輪宝や羯麿等の仏具が描かれています。図柄や絹地からみてその製作年代は南北朝時代と推定され、埼玉県下の曼荼羅のうちでも比較的早い時代の作品として貴重な存在です。
昭和五十九年九月二十三日
埼玉県教育委員会
大宮市教育委員会
長松山清浄院
境内碑
大宮市教育委員会指定
天然記念物
清浄院のサルスベリ一本
昭和六十一年二月七日指定
長松山清浄院
清浄院のサルスベリは近郷近在は勿論のこと県内に於ても稀に見る古木大樹にして他に類を見ない 枝張りも四方に広がり均整のとれた樹形は威風堂々として品格をそなえ実に壮観である 花期には紅紫色の見事な花をつけ広く市民が観賞するに値する樹木である
樹齢 三〇〇年余
樹高 九、五メートル
目通り一、三五メートル
枝張り
東 四、五メートル
西 五、五メートル
南 三、八メートル
北 六、九メートル
境内碑
環境整備記念碑
弘法大師一一五〇年御忌を記念して清淨院御先祖の冥福と檀家一同の繁栄を祈念して門標の建立曼荼羅の記念碑並びに説明板の建設参道及び境内に庭石の布石植樹境內東側に境界塀を設置し更には大塚石材工業(株)の御芳志によって通用門から本堂庫裡に通路を完成し環境の整備を完了したのでこの碑を建立する。
昭和五十九年秋彼岸
境内碑
鐘楼堂建設記念之碑
当山には、かって近郷近在 稀にみる二階建風の鐘楼堂があり 地区住民は梵鐘の響きと共に生活て参りました。
ところが第二次大戦中の昭和十八年(一九四三年)二月十六日 梵鐘は遂に供出を命ぜられ 鐘楼堂はいつ朽ちるともなく朽ち果てて跡形もなく今日に至っております。
当時の鐘楼堂は 建坪九坪 梵鐘の外径二尺二寸一分 重量七十九貫匁と記されております。
時あたかも 昭和から平成に改元されたのを機に 檀徒一同の総意が結集され 先祖代々の冥福と檀徒の弥栄を念じて 鐘楼堂の建立となった次第であります。
因みに新設の鐘楼堂は建坪約七坪(約二十三平方メートル)梵鐘の外径二尺五寸(約七十六センチメートル)重量約百三十貫匁(約四百八十八キログラム)総工費三千萬圓であります。
起工式 平成元年七月十一日
竣工式 平成元年十二月七日
平成元年十二月吉祥日
長松山清浄院
第二十五世住職 鈴木秀道 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2023/08/06 14:59:48
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