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★★★★ 参拝日:2018年9月16日 00:00
暑い1日でしたが、だんじりのこの時期、街全体がとても熱いです。必見の価値ありだと思います。
参拝日:2017年8月6日 00:00
★★★★★ 参拝日:2023年12月29日 10:41
★★★★★ 参拝日:2021年6月7日 14:43
岸和田城に隣接した神社。
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住所 | 大阪府岸和田市岸城町11−30 |
五畿八道 令制国 |
畿内 和泉 |
アクセス | 南海本線蛸地蔵駅北へ500m |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 072−422−0686 |
FAX番号 | 072−430−3600 |
公式サイトURL | http://kishiki.web.infoseek.co.jp/ |
御祭神 | 天照皇大神 素盞嗚尊 品陀別命 |
創建・建立 | |
旧社格 | |
由来 | 創建年代は不詳ながら往古より かつての和泉国南郡岸和田村のうち現在の宮本町・上町・五軒屋町の産土神として祀られてきた。 桃山時代、豊臣秀吉より岸和田三万石を与えられた小出秀政が、岸和田城内に社殿を築造した。 江戸時代はじめの元和五年(1619)に岸和田城主となった松平康重が、 寛永年間(1624~43)に新たな社殿を建立し、春日大明神・愛宕大権現・天満天神の三社を勧請した。 その後、岡部宣勝が六万石で岸和田城主となった。万治四年(1661)、宣勝は廃壊していた社殿を修復、 彫物などで美しく飾り立てて再建した。以後、岡部氏代々の崇敬が厚く、氏子も宮座を組み祭祀を務めた。 明治の初め、「御宮」の名称で親しまれていた牛頭天王社と八幡社を合祀して「岸城」神社と改称、 岸和田城内の「神明門」附近にあった「神明社(神照太小社)」の社殿を現境内に移した。 岸城神社の神紋の「木瓜と橘」は、木瓜が「牛頭天王社」に、橘が「八幡社」に由来するものである。 明治六年(1872)郷社に列し、明治二十九年(1896)には旧藩民・氏子の奉賛により現在の境内が整備された。 ついで明治4四十年(1907)には神餞幣帛料供進社に指定され、 大正四年(1915)大工町にあった「蛭子神社(岸和田戎神社)」、大北町にあった「琴平社」を合祀 して、現在の二十ヶ町を氏地とする産土神社となった。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】よっしぃ 【 最終 更新日時】2020/11/20 10:06:14 |