埼玉県児玉郡上里町大字金久保701 崇栄山陽雲寺の写真1
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 2.7

崇栄山陽雲寺


埼玉県児玉郡上里町大字金久保701

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七志乃権兵衛さん
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基本情報


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住所 埼玉県児玉郡上里町大字金久保701
五畿八道
令制国
東海道 武蔵
アクセス JR高崎線神保原 徒歩22分
御朱印授与時間
電話番号 0495338255
FAX番号
公式サイトURL
御本尊 華厳釈迦尊
宗派 曹洞宗
創建・建立
由来 境内掲示板
陽雲寺
所在地 児玉郡上里町金久保七〇一
 陽雲寺は曹洞宗の寺で、鎌倉時代初期の元久二年(一二〇五)の創建と伝えられ、初め唄樹山満願寺と称したという。元弘三年(一三三三) 新田義貞が鎌倉幕府打倒を祈願して不動堂を造立したことが寺伝にみられ、以来、”新田勝軍不動堂”などと称され、室町 時代には金窪城主斎藤氏の帰依が厚かった。天文九年(一五四〇)斎藤定盛が諸堂を修復し、寺名を崇栄寺と改めたが、天正十年(一五八二)の神流川合戦の兵火で焼失した。
 天正十九年、金窪の領主となった川窪信俊は養母である武田信玄夫人を伴って入封し、信玄夫人は当寺の境内に居住したが、元和四年(一六一八)に没した。信俊は、夫人の菩提を弔うため、その法号である陽雲院をとって寺号を崇栄山陽雲寺と改称した。元和五年には徳川幕府から御朱印五石が寄せられている。
 なお、境内には県指定文化財となっている元禄銘のある銅鐘や、県指定旧跡となっている新田義貞の家臣であった畑時能の供養塔などがある。
昭和六十年三月
埼玉県
上里町

新撰武蔵風土記稿
賀美郡金窪村
陽雲寺 禪宗曹洞派上野國小幡寶積寺末崇榮山唄樹林ト號ス 開山麟鶴永祿元年正月十五日示寂 當寺ハ齊藤左衞門盛光同攝津守定盛大檀那トシテ開基セシ所ナリ 盛光ノ法謚ヲ崇元院溪岩英照ト云 享祿二年七月二日卒ス 定盛ハ永祿七年七月十五日卒シ崇榮寺寶山道一ト謚セリ 定盛ハ當時村內金窪ノ城主ニシテ今其子孫ハ兒玉郡兒玉町ニ住シテ正右衞門ト稱セリ 其家系ニ定盛以下ノ祖先ヲ載テ盛光ヲ載セス 其卒年ヲ推ニ定盛ノ父ナルヘシ 定盛ノ法謚モ當寺ノ山號ニトリテ銘セシコト知ラル 往昔ハ既ニ崇榮寺ヲ以テ通稱トセシト 中古改テ滿願寺ト號セシコトモアリト云 又武田兵庫頭信實及妻女マタ川窪與左衞門信俊ノ三人ヲ中興開基ト稱ス 今其家譜ヲ閱スルニ兵庫頭信實ハ信虎ノ四男ニシテ或ハ川窪ト稱ス 天正三年五月廿一日三州鳶巢山ノ役ニ討死ス 其子ヲ川窪與左衞門信俊ト稱セリ 同キ十年甲州御打入ノ時召出サレ其後屢戰功アリシニヨリ同キ十九年武州ニ於テ采地二千餘石ヲ賜フト見エタリ 此時當村ニ賜ヒシナリ コレニ據ハ信俊當所ヲ知行セシ後其父母ノ爲ニ當寺ヲ中興シテ二親ノ位牌モコヽニ安セシヲモテ共ニ中興開基ト稱セシナルヘシ 信實ノ法謚ハ輪禪寺玉輪一機ト稱シ其妻ハ瑞昌芳秀ト號ス 今ノ寺號ニ改シモ此妻女ノ法號ニトリシト云 信俊ハ法昌院陽雲院三關道二ト謚シ寬永十六年四月十四日卒セリ 本尊華嚴釋迦ヲ安ス
鐘樓門 元祿年中鑄造ノ鐘ヲカク 太郞坊權現社 當寺三世詳貞カ時夢想感得ノコトアリテ建立セシ社ナリト 則鞍馬太郞坊ヨリ授リシト云銅印アリ コノ銅印ト太郞坊ノ像トヲ押テ火防ノ守トセリ 塔頭 不動院 開山忠嚴慶長八年三月十日示寂本尊不動ヲ安セリ 陽福院 開山了鶴寬延元年八月二十三日示寂本尊千手觀音ヲ安セリ 地藏院 開山文應享保八年六月二十三日示寂本尊六地藏ヲ安セリ
神社・お寺情報 児玉三十三霊場 第二十二番札所

境内掲示板
上里町指定文化財
一、銅鐘(国認定昭和二十年)
一、畑時能公之墓(県指定大正十二年)
一、武田信玄夫妻画像
一、釈迦如来坐像
一、実美公御野劔
一、古銅正観世音立像
一、武田信玄公起請文
一、跡部美作守軍状
一、陽雲院殿の墓
昭和三十七年指定
 上里町教育委員会

境内掲示板
県指定旧跡 畑時能供飬祠一基
  昭和三十八年八月二十七日指定
 参道際にある石の祠は、新田義貞の家臣で四天王の随一と呼ばれ金窪城に住した畑時能の供養祠と伝えられているものである。時能は秩父郡長瀞町の出身で義貞戦死後も南朝方のために孤軍奮闘したが暦応二年(一三三九)越前国で足利方に討たれた。
 従臣児玉五郎左衛門光信が時能の首級を携えて敵陣を脱出し、当地に持ち帰り供養したものという。後に光信も時能の墓側に葬られ二石祠が建立されて、両者の姓を取り「畑児塚」と呼ばれている。
県指定有形文化財 銅鐘一口
  昭和三十九年三月二十七日指定
 この銅鐘は、頂部の竜頭が上向きて朝鮮式と呼ばれている鐘である。高さ一九〇センチ・口径九八・三センチ縦帯に仏像四体を陽鋳し、下帯に唐草文駒の爪には蓮弁を施し、乳頭は各面に二十五個ずつ百個、縦帯に二個ずつ八個、計百八個を鋳出す。これは百八つの煩悩を表わしたものである。
 池の間に長文の銘があり、天命鋳物として栄えた下野国佐野(現在の栃木県佐野市)の鋳物師井上元峰によって、元禄八年(一六九五)に鋳造されたことがわかる。江戸時代中頃の優れた銅鐘の一つとして、すでに国認定重要美術品の指定を受けている。
  昭和五十八年三月二十四日
   埼玉県教育委員会
   上里町教育委員会
   陽雲寺

境内掲示板
県指定有形文化財 陽雲寺所蔵文書七点
  昭和四十三年三月二十九日指定
 当寺の前身は崇栄寺と号し、天文九年(一五四〇)に金窪城主斉藤左衛門尉盛光が開基となって創建したが、天正十年(一五八二)の神流川の合戦で焼失した。その後全窪村の領主となった武田信玄の甥川窪信俊が再興するとともに寺号を信俊の養母であり、信玄 の夫人であった陽雲院の名をとって陽雲寺と改めた。
 そうした関係で、当寺には武田信玄自筆の起請文・書状・判物など六点があり、典型的な戦国大名の書として貴重である。なお、当寺にはその他古河公方足利政氏の文書一点も伝えられている。
県指定有形文化財 
  伝武田信玄・陽雲院夫妻画像一幅
  昭和四十三年三月二十九日指定
 この画像は、畳上に剃髪・道服姿で脇息にもたれる信玄と小袖を着た夫人陽雲院とが並んで描かれており、夫妻の風貌や夫人の小袖に甲州をしのばせる葡萄模様を表わすなど、趣きのある作風を示している。
 作者は、幕府の御用絵師をつとめた狩野派の狩野元俊秀信で、画面隅に「年寿八十二歲元俊書之」とあり、寛文十二年(一六七二)八十五歳で没しているので寛文九年(一六六九)の作であることがわかる。絹本看色たて三二・二センチ・よこ三三・三センチ
  昭和五十八年三月二十四日
   埼玉県教育委員会
   上里町教育委員会
   雲陽寺

境内碑
本堂屋根等銅板葺改修工事趣意
 陽雲寺は、開基武田信玄夫人陽雲院の居館をそのまゝ本堂及び書院として、金窪城主川窪与左衛門信俊により天正十九年(一五九一)建立されされ四百有余年が経過しており、埼玉県や町の指定文化財の名刹として県下にもその名を知られて居ります
 本堂屋根は当初わら葺であったものを昭和三十五年トタン葺に改修し、三十三年が経過し、トタン葺では耐用年数が限られております。この由緒ある建物を、今後末永く保存するには銅板葺に改修するのが最適であります。
 今般住職檀徒総代協議の結果、現在の銅板価格等考慮し、この際改修工事を行うことに決定した次第であります。
 平成六年三月吉日建立
  崇栄山陽雲寺二十六世宝山清樹代

境内碑
開運 鞍間太郎坊大神
 埼玉県知事 畑和謹書
由緒
寛政二年(一四六七)勸請鎮座往昔金久保郷全域の守護神明治十二年有栖川熾仁親王殿下神号の御尊筆下賜明治十五年太郎坊主主催全関東武道大会奉額(現存)記載人員数千人を算す盛況思うべし秩父小天狗若干高野佐三郎の試合凄惨を極め大敗北を喫す是に依り意を決し即に東都榊原健吉の道場に学び専心努力剣聖に至る出世道場であった昭和二十二年二月十三日疎開者の失火社殿全焼す元東京美術院理事審査委員羽石光志画伯御神像奉願
昭和六十一年三月二十八日
  陽雲寺現住宝山清樹代
例祭日
神紋・寺紋 未登録
更新情報 【 最終 更新者】zx14r
【 最終 更新日時】2024/04/07 09:11:18
 
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