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基本情報
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住所 |
和歌山県有田郡有田川町天満722番地 |
五畿八道 令制国 |
南海道 紀伊 |
アクセス |
JR紀勢本線藤並 徒歩12分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0737-52-8353 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
(主祭神)菅原道眞朝臣 水主神 (配祀神)菅原郄視 菅原宣耒 猿田彦神 大物主神 一言主神 久名戸乃神 須佐男神 罔象女神 國常立神 大名手遲命 八千神 毘賣神 天照皇太神 埴山姫神 天児屋根命 下光比賣神 應神天皇 大鷦鷯天皇 市杵島姫命 他二十神 |
創建・建立 |
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旧社格 |
郷社 |
由来 |
当神社は、菅原道眞朝臣、水主神を主祭神とし、旧在田郡の郷社である。 人皇天皇第十三代成務天皇十七丁亥年武内宿称が勅命を奉じて、水主神を勧請したと伝えられている。 その後第三十七代斎明天皇三(六五八)年に有馬皇子が、当國へ行啓の時弊を俸げられ翌年の秋天皇が、牟漏温泉へ行幸の砌、弊帛を奠じ給い神戸田を殖されたといわれている。 平安時代になり天元三(九八〇)年紀伊国司菅原有忠郷が霊夢を感得されて山城国、北野天満宮から菅原道眞公の霊を勧請し合祀して天満宮と称した。 明治の末に藤竝村内三十四社を合祀して、明治四十一(一九〇九)年十一月藤並神社と改称された。 例祭には、大字奥区の御旅所まで数㎞の渡御が今も執り行われている。 泣沢女の古墳は、神社鳥居を入ってすぐ右側に位置し、昭和三十三年四月史蹟として和歌山県文化財に指定されている。 古墳は平成五年、和歌山県により発掘調査と整備工事が完成し、祖先が残した、文化遺産を後世に残すと共に、広く一般に野外研修の場として活用出来る事になった。 泣沢女の古墳御由来 斉明天皇(女帝)四年五月、御孫建皇子が八歳にて薨去せられ、大和の今来谷の山上に葬り奉つたが、天皇は皇子の御事が忘れられず、果ては御健康を害われ給う御様子なので、有馬皇子のお勧めにより、同年秋牟漏温泉へ御湯治の際、那耆野に御駐輦遊ばされ、この地は大和の今来谷に似ていると仰せられて、その名に因んで今城ヶ丘と名付けられ、建皇子の御遺骨を納め給うた墳墓であると伝えられている。 境内東隣の青蓮寺は、もと今城寺と称せられ、斉明天皇の勅願寺で、皇子の菩提御祈願のため建立され、はじめ三院(明王院、森蔵院、多聞院)六坊(奥之坊、妙観坊、中之坊、新坊、梅之坊、松之坊)があつたといわれている。 『日本書記』、持統天皇三(六八九)年八月の項に、紀伊国阿提郡那耆野二万頃(一項は百畝)田殿丹生神社夏瀬の森から天満宮周辺一帯の有田川流域に互り漁猟禁断の記事が見えるのは、即ち建皇子の塋域だからであると伝えられている。 弘仁年間弘法大師が退転した今城寺を再興して真言宗青蓮寺と改称し、後、天満宮の別当寺となり、天元三年菅公の霊を勧請の時供奉した並松が、寺の社僧となったといわれている。『万葉集』藤浪之散巻惜霍公鳥 今城丘叫鳴而越奈利 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
10月9日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】じゃすてぃ
【
最終
更新日時】2019/04/04 01:35:44
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