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基本情報
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住所 |
和歌山県日高郡日高川町大字江川1956番地 |
五畿八道 令制国 |
南海道 紀伊 |
アクセス |
JR紀勢本線和佐 徒歩12分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0738-53-0630 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
(主祭神)誉田別命 (配祀神)天照大日命 丹生津姫命 天児屋根命 里大神 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
当神社は旧丹生村の村社であり、八幡大神を主祭神とし、丹生津姫命外を併祀し、当地は八幡大神と丹生津姫命とは特にゆかりは深く、明治四十一年より二年に亘る神社合祀以前は当神社を江川八幡宮と呼び、室町中期和佐手取城主玉置氏が、和佐城山に築城後、直ちに守護神として、川中長子八幡宮より(日高川町小釜本鎮座)八幡大神を勧請。最初城内に祀っていたのを江川の此の地に遷し、放生会祭として祭礼は執り行なわれて来た。(應永・天文(一三九四│一五五四)年間当社の放生会祭の席順の人名を記せる文書、村民江川氏に藏む。)と『紀伊続風土記』にみえ、その頃には数少ない江川村天正検地帳と共に原本は有ったが、その後原本は散逸され、その写しのみ東京の国立図書館に現存されているが原本がみつからないのが、残念である。又当地方には真妻と呼ぶ地名が多くあり、その地には合祀以前真妻大明神が祀られており、丹生津姫命が鳶に乗り真妻峯に天下ったと言う伝説から、当地方では丹生津姫命を真妻大明神と呼び、農耕の神、魔除けの神、又丹朱の色になくてはならない水銀を司る神として崇められ、当地内和佐に通稱(ごんじ穴)と呼ばれる水銀発掘の古跡があり、又伊都郡の丹生津比売神社の有名な古文書、『天野告門』の中に「日高の江川の丹生に忌杖刺し給ひ」と言う一文がみえており、江川と言う地名が始めてみえるのは此の古文書が始めてであり、水銀文化の盛んな頃、丹生津姫命を祖神と仰ぐ丹生氏が当地に来たり、水銀発掘、土地開拓、農耕機織を教え、土地発展の礎を築いた事が窺われ、その御恵を稱えて、真妻峯に真妻大明神と稱へなしてお祀りし、その後各地区ごとに、思い思いの地におまつりし、合祀以前は各地区に丹生津姫命を祀る小祠が鎮座していたが、その後江川八幡宮に他の小祠と共に合祀し、その後社号を(丹生神社)と改め現在に至っている。(例祭)笑い祭神事は、和佐地区より選ばれた笑い男(十二名)が一升の福枡に野山の幸を串に刺し、神前に供へ、祭事を執り行ない、笑い男達が執る先導の合図で、どっと笑い、それを繰り返しながら渡御を奉仕すると言う奇祭である。又江川組の鬼の出迎へと奴踊り、和佐組の踊り獅子、山野組の雀踊り、松瀬組の竹馬駈け等、の盛り沢山の神賑行事が奉納され、県無形文化財に指定されている。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
10月10日(10月第2日曜日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】じゃすてぃ
【
最終
更新日時】2019/05/20 18:47:34
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