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基本情報
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住所 |
和歌山県田辺市上秋津1509番地 |
五畿八道 令制国 |
南海道 紀伊 |
アクセス |
JR紀勢本線紀伊田辺 徒歩56分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0739-22-0774 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
(主祭神)瀬織津比売神 速秋津比古神 速秋津比売神 他十二神 (配祀神)天照大神 愛宕大明神 大山咋命 事代主命 須佐之男命 熊野夫須美神 速玉男神 伊邪那美神 家津御子神 水分神 倉稲魂神 少彦名命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
当神社は会津川流域・奇絶峡口の左岸・字岡代に鎮座する。元は、河上大明神・川上明神社とも云われた明治六年村社に列し、同四十四年十一月三十日神饌幣帛料供進社に指定され一村の代表的神社となる。当社勧請の年代について仁和二(八八六)年と天文十六(一五四七)年の両説があるが享保十(一七二五)年の書上に依れば「往音肥前国佐賀郡より勧請仕候由申傳候」とあるが徳川末期に至る迄其の勧請年代の記録はない。但し、古神職家の田中氏歴代の伝承する所によれば天文十六年(後奈良天皇の御代)野村氏が当村に来たりて定住すると同時に肥前国佐賀郡より勧請して田中氏が神主となって三代、天保五六年に尤之助が其の勧請の祝詞を紛失したと伝えられる。然るに明治十三年神社明細帳には勧請年代を仁和二(八八六)年と記しているが古書によるべき処もない。明治元年迄当社の祭礼に際して、古社に対する儀式として、下秋津村の三社へ奉幣したが其の三社内の一社、大西大悲寮権現は天文元(一五三二)年の頃より大西の産土神たりしと云う所より推察する時、当社は天文十六(一五四七)年の勧請と見るのが実際に近いと思われる。当神社の当初の鎮座地は衛門平であったが元和六(一六二〇)年延宝四(一六七六)年正徳五(一七一五)年の大水による流失、享保十九(一七三四)年五月の山崩れによる損壊、宝歴四(一七五四)年七月の大雨による流失等、度々の災害のために宝歴十三(一七六三)年現在地に奉鎮された。 明治元年の神仏分離令で社名を川上神社と改称した。明治十年十月村内の神社を合祀したが同二十二年、二十六年の大洪水後、合祀の村内神社をそれぞれの旧社地に復祀した。(例祭)古くは流鏑馬の行事を行い、又、明治二十二年頃迄は競馬も行なわれたが今は途絶えて神社横に残る馬場が往時の名残りを留めている。 例祭当日は正午から佐古谷地区に鎮座する磐上神社で、祭典準備をし川上神社迄の約二㎞の道を渡御する。 午後一時三十分頃宮入りをし例祭式典を執り行い獅子神楽が奉納される。この後投餅があり行事は全て終る。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
11月23日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】じゃすてぃ
【
最終
更新日時】2019/05/20 17:58:00
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