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参拝日:2024年1月18日 12:17
★★★ 参拝日:2018年11月18日 00:00
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住所 | 京都府京都市東山区五条橋東六丁目514番地 |
五畿八道 令制国 |
|
アクセス | 京阪本線清水五条 徒歩11分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 075-531-4171 |
FAX番号 | 075-531-2072 |
公式サイトURL | https://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/ |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 浄土真宗 |
創建・建立 | 1272(文永9)年 |
由来 | 浄土真宗を開かれた宗祖親鸞聖人は、弘長2年11月28日(1263年1月16日)、弟の尋有僧都の住坊「善法坊」(現在の角坊)において90歳でご往生になり、鳥辺山南辺(現在の本廟の「御荼毘所」)で火葬され、ご遺骨は鳥辺野北辺の 「大谷」 に納められました。
親鸞聖人のご往生10年後の1272(文永9)年の冬、親鸞聖人の末娘である覚信尼公が諸国の門弟の協力を得て、ご遺骨を吉水の北辺に改葬し、六角の廟堂を建ててご影像を安置されました。廟堂建立の地は、現在の知恩院の山門の北に位置する崇泰院付近とされています。この土地は、覚信尼公の夫である小野宮禅念の所有する土地でありましたが、廟堂建立の翌々年、1274(文永11)年にこの敷地を覚信尼公に譲ったとされています。その後、覚信尼公は1277(建治3)年から3度にわたって此処を宗祖の墓所として寄進することを東国の門弟たちに通達し、遠方にいる門弟にかわり直接廟堂を護持する任に就きます。これが後の「留守職」です。 この廟堂は「大谷影堂」とも呼ばれ、後に「大谷本願寺」となり、第8代蓮如上人時代の「寛正の法難」(1465年)により破却されるまで、およそ200年間、諸国の門弟や同行によって護持されてきました。以後第12代准如上人時代の1603(慶長8)年現在地に移転し、この地を「大谷」と呼ぶようになり、今日まで多くの門信徒の方々により護持されています。 |
神社・お寺情報 | 別称:西大谷 |
例祭日 | 1月1日:元旦会 3月春分の日を中心に前後3日間:春季彼岸会 6月5日~8日:納骨・永代経総追悼法要 7月20日~22日:朝の法座 8月14日・15日:盂蘭盆会 9月秋分の日を中心に前後3日間:秋季彼岸会 10月15日・16日:龍谷会 12月31日:除夜会 |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】けんぢ 【 最終 更新日時】2022/04/03 07:29:17 |