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★★★ 参拝日:2019年2月20日 00:00
小学生の頃、鳥居の存在だけは知ってました。 40数年後 初のお参りをさせて頂きました。
★★★★★ 参拝日:2024年2月12日 10:02
★★ 参拝日:2023年10月17日 08:15
★★★★★ 参拝日:2022年5月5日 00:00
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住所 | 東京都東久留米市中央町2丁目4-26 |
五畿八道 令制国 |
|
アクセス | 西武池袋線東久留米 徒歩16分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.hikawa-jinja.jp/ |
御祭神 | 天照大神 |
創建・建立 | 不詳 |
旧社格 | |
由来 | 旧南沢村には、村社として氷川神社があったが、別に字神明山に神明社が祭られていた。その由緒などについては、『新編武蔵風土記稿』、『社寺調書』にも記載がないので明らかではない。しかし、当社の別当寺であったと伝えられる観音寺(廃寺)と併せて考えると、その創建は、近世以前にもさかのぼるのではないかと思われる。 観音寺は、恵心僧都により正暦五年(九九四)に開闢されたと伝えられる古寺ではあるが、中世以前については不明である。 しかし、江戸初期には、この付近は中丸観音寺と呼ばれて、隆盛であったと推察される。その後、文化一二年(一八一五)、伽藍焼失とともに、大円寺の住職により兼務され、仮本堂のまま明治の終りまで続くが、その仮本堂も火災に遭い、ついに大正三年、大円寺に合併された。 神明社の歴史は、この別当寺であった観音寺の盛衰とともに移り変わったものと思われる。文化一二年の火災以後、観音寺は歴史の表に再び現れることがなかったため、神明社も『新編武蔵風土記稿』等に記されなかったのであろう。 当社の本殿は、一間社流造りで、見世棚造り、板葺の小社ながら、海老虹梁、頭貫木鼻の絵様は、古風であり、江戸中期の特徴を示している。棟札等の記録もないが、伝承では寛政ごろ(一八世紀末)の造営といわれ、ほぼそのころのものとしてよいであろう。現社殿の本殿覆屋、幣殿、拝殿とも昭和四七年の再建によるものである。 (東久留米市史より) |
神社・お寺情報 | ▼境内社:稲荷社 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】さち・ミク 【 最終 更新日時】2019/02/20 15:27:53 |