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★★ 参拝日:2024年1月6日 13:36
参拝日:2023年4月1日 00:00
★★★★★ 参拝日:2022年10月8日 00:00
伏見稲荷から勧請されたと言われる稲荷神社。こんな明るい雰囲気の稲荷神社は初めて見ました。本殿に右側に子安社、奥に旧社、階段登ると恵比寿様、大漁神(こちらも恐らく稲荷神)の祠があり後ろを振り返ると太平洋が爽やかに広がっています。昔の漁師さんのお話で津波に飲まれた時に白狐が現れて助けられたという言い伝えは気になる所です。こちらの有名な授与品として神砂(初穂料100円)があります。このお砂を持った方が商売繁盛し始めたり良い話が多く霊験あらたかなようで私も一つ授与させて頂きました。きっと此方の神社は海の向こうからの氣も引いてるに違いない…そんな感じがします。
参拝日:2022年5月28日 00:00
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※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 三重県志摩市志摩町片田64 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス | |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0599-85-2342 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.ohyamanet.com/~katadainari/index0.htm |
御祭神 | 倉稲魂神、高御産巣日神、神御産巣日神 |
創建・建立 | 1852 |
旧社格 | |
由来 | 戦国末期に活躍した鳥羽水軍の総帥、九鬼嘉隆が興した鳥羽藩の三代目藩主である良隆は生来の病弱がもとで若くして引退ため弟の隆季、久隆の間で藩を二分する相続争いが起こった。寛永十年(1633年)、幕府の公裁で丹波綾部(二万石)と摂州三田(三万六千石)へ、それぞれ転封となった。その際、鳥羽城に出仕していた、片田大野郷出身の浜口半四郎は故郷の年老いた母のため、遠い新封地での勤めを辞退したところ、長年にわたる忠勤の褒賞として、望みのものを遣わすと云う藩の御城内の「お稲荷さん」を頂きたいと懇願した。この稲荷神は二代藩主、守隆がお家芸泰と病気平癒を願って、伏見から勧請した由緒あるものであったが御許、老母の待つ片田へ「お稲荷さん」を捧じて帰郷し、隣家、平賀金蔵家の裏山にある「山ノ神」の境内に安置したと云う。何時の頃からか、そこに白狐が住み着いて、近郷近在に瑞祥が現れ慶事が重なった事から、人々に篤く信仰されるようになったと伝承されている。因みに、京都伏見の正一位稲荷大明神は、山城風土記にある泰之中家の稲成りの故事から出た信仰で、農業の神「倉稲魂神うかのみたまのかみ」を祭祀している。最高位の正一位は、淳和じゅんな天皇(786~842年)が疫病の流行や身の不序は、伏見山中の神木を伐採した祟りだと恐れをなして贈位したと言う。また稲荷と言えば「お狐さん」だが、その由来は御餞神みけつかみから三狐みきつねや御狐みけつねとなったか。狐は田の神の「お使い」だと農村では古くから信じられていたという神道説と、嘉吉かきつ元年(1441年)曹洞宗妙厳寺、通称「豊川稲荷」を開山した義易和尚が中国から陀枳尼天だきにてんを泰じて帰朝の途次海上で見た白狐だ、という佛教系の説がある。 神社ホームページより |
神社・お寺情報 | 駐車場はなし。御朱印の授与は社務所に書いてある電話番号にTELする形になります。 |
例祭日 | 1月7日 11月7日 |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】神追人 【 最終 更新日時】2022/10/15 12:39:32 |