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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
東京都西多摩郡奥多摩町棚沢178 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
JR青梅線鳩ノ巣 徒歩5分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
平親王将門霊
八千戈命
相殿 高皇産霊神 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
将門神社と穴沢天神
「棚澤村地誌捜索御改帳」は、将門神社と穴沢天神について次のように記述しています。
御除地三反四畝歩
多名沢神社 祭神八千戈命
将門大明神 平親王将門霊
二座
本社南向 五尺台間 上屋弐間 三間半 略拝殿兼
当社は桓武天皇延暦年中鎮守府将軍武蔵守利仁、陣中衛護の御願に依て、軍神八千戈命をもって多名沢の神社と崇祭り、其後朱雀帝承平年中平親王将門再祭把たり。嫡子将軍太郎良門亡父の霊像を彫作して相殿に奉安してこれを置く。以来称号は平親王社たり。
永正元甲子年、年穀祈願のため領主弾正忠平次秀候社頭に神劔を奉納御再建総鎮守と崇めらる。
延喜帝御宇式央に載するところ武蔵国四十四座の内多摩郡八社の一座 今奥の院と称する是なり。
御免地 百坪
穴沢天神社 祭神高皇産霊神一座 御相殿 天光珠星亜肖気尊
そもそも起立は日本武尊東夷御征伐の御時 安国治平の御宿願によって御岳に軍馬を屯し給う夜、当山に光輝現われ、尊、瑞光を尋ねて直に北谷深遠に到りたまいまことに神霊降臨ありと、即ち一紙の幣を捧げて穴沢天神と崇めまつる。
後に穴沢を多名沢と唱う所以は音の通ずるためか、又はいう八千戈神御鎮座これあり、御神名の多き故にや沢もなお沢山というか、是等謂後邑の名其事の濫觴かと鎌倉右大将家之御治世、治国平天下のため式内の神社に御祈り神供免地御寄附の時即当社三百戸、中頃の国乱に及びこれを空失したりといえども今に証地のみこれを存す。
毎年御祭礼
二月十四日 忌日祭
六月五日 奉幣 神酒献供 矢鏑初神事
六月十五日 祇園祭栄木神事
八月一日 獅子舞祭礼
九月十五日 奉幣祝詞
霜月十五日 神酒祭 皆済祭
右社地は御除地の内にて山之中通り嵯峨なる平地に御座候
この記録を整理すると次のようになります。
そのむかしここに日本武尊の祭った多摩八座の一といわれる穴沢天神があった。延喜年中、その下へ鎮守府将軍藤原利仁が陣中衛護の神として八干戈命を祭って多名沢神社を起こし、その後さらに平親王将門がここへ祭られて二座となり、それ以来社号は平親王社と呼ぶようになり、穴沢天神社は奥の院となった。
将門神社は明治四十一年地区内の熊野神社(棚澤)に合杷され、本殿、将門霊像、灯籠は熊野神社(棚澤)へ移設されました。霊像は長さ四二センチメートルほどで前床に坐した木像、灯籠は文政三年(一八二〇)建立されたもので九曜星と巻藤の紋があります。
熊野神社へ合祀後、将門神社の跡地は荒廃にまかされていましたが、昭和五十年、野村孝之氏を中心とした地域住民の信仰から社地を整備し、総檜造りの社殿が再建され、また社地の一隅に将門の女、御幸姫を紀る御幸姫観音の石像が造立されました。
将門神社の内陣には弓を携えた将門馬上姿の銅像(新作)が安置されていますが、これは東京赤坂氷川神社の将門神像を模して造られ、御幸姫観音の像はもと将門宮の神職家三国家に所蔵されていた護符の像影から写し取ったものです。
現在将門神社の後背地には不動堂があり、その傍に穴沢天神の小祠がありますが、その御神体は自然石のものですが『棚澤地誌草稿』はこれを、次のように説明しています。
穴沢天神 神璽石高さ一尺二寸巾一尺一寸程の奇石なり、高さ一尺八寸許りの箱宮に蔵めまた陰陽両箇の石あり、陽石は長さ七寸回り三寸許り、陰石は長さ四寸五分、巾三寸二分、神璽の石と同箱に納めたり。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】shikigami_h
【
最終
更新日時】2024/10/12 14:02:09
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