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基本情報
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住所 |
埼玉県加須市北大桑965 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
東武伊勢崎線花崎 徒歩25分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
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創建・建立 |
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由来 |
境内碑
如意山義政院圓満寺縁起
当山は如意山義政院圓満寺と称し真言宗智山派に属し本尊は千手観世音座像の木造仏で、高さ三尺二寸五分、膝巾二尺三寸五分、胴の直径九寸八分、面長七寸のものでその昔人皇八十二代後鳥羽天皇の御代、大仏師運慶の作と伝えられ、当山に伝わる略縁起と寛保三年の古文書の立證するところである。胎内仏は金の仏像で身の丈一寸八分行基菩薩の作といわれていたが今はない。
昭和六十一年十二月八日、大利根町の有形文化財に指定された本尊千手観世音は下野の国司小山朝政九世の孫小山判官義政公の守り本尊で同公の祈願寺であり、山号は義政公百日の願が成就した結果付与された意義深いものである。義政公は鎌倉管領職の足利氏満に反抗し、小山城に氏満の大軍を引き受けて奮戦するも遂に敗れ自害し果てた。時に永徳二年四月(一三八二)のことでありその時の同公の遺品が寺宝となっている太刀、草摺貫し鞍、鎧(鉄製)、毒を盛ったという匙などである。
天正十八年四月(一五九〇)豊臣秀吉小田原攻めの兵火にかかり小山氏ゆかりの楼門、鐘楼など灰燼に帰したが同年暮れ、麦倉村(現北川辺町麦倉)の戸澤織部政吉が再建した。戸澤氏は小山氏と關係の深かった皆川山代守(栃木県螺貝城主)の家臣で子孫は牛久保と改姓している。尚、寺宝の槍の穂(六寸五分)及び小刀などは戸澤権之亟の奉納と伝えられている。御堂、楼門共に土台なしの古雅な造りであったが、御堂は平成十二年十二月十七日新築落慶された。
大祭は毎年二月十八日(現在は二月第三日曜日)に行なわれ裃姿の福男の豆撒きや、交通安全、家内安全祈願で賑わっている。
合掌 |
神社・お寺情報 |
新編武藏風土記稿
埼玉郡北大桑村
圓滿寺 是モ同寺(新義眞言宗南篠崎村普門寺)ノ門徒ニテ如意山議政院ト云 本尊千手觀音ヲ安ス
境内掲示板
有形文化財 彫刻
円満寺の千手観音坐像
指定年月日 昭和六十一年十二月八日指定
所在地 加須市北大桑九六二番地
所有者等 円満寺
この如意山義政院円満寺は、その名の示すように下野国司小山朝政の九世の孫小山判官義政公ゆかりの寺で、本尊千手観音は義政公の守り本尊であったと伝えられています。
木造の千手観音坐像は、銘文や製作年代は記録されていませんが、一説によれば仏師運慶(一一八四~一二二三)の作ともまた、運慶の流れをくむ鎌倉仏師の作とも言われ、いずれにしても慶派の技法による力強い作風がみられます。
本尊千手観音は、三十三年毎の御開帳のとき以外は、固い扉に閉ざされた秘仏で一般公開はされておりません。
なお、円満寺は北大桑の観音様と呼ばれ、毎年二月十八日(近年はその前後の日曜日)には、昔は飾り馬で賑わい、今は農耕や交通安全、家内安全の祈願で賑わっております。
昭和六十三年三月一日
加須市教育委員会 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2023/12/24 13:47:40
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