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基本情報
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住所 |
東京都豊島区高田2-12-39 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
都電荒川線学習院下 徒歩3分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
03-3971-1654 |
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御本尊 |
聖観世音菩薩 |
宗派 |
真言宗豊山派 |
創建・建立 |
文禄3年(1594年)以前 |
由来 |
当寺院は、開基である僧・永順が本尊である聖観音菩薩を勧進して観音堂を作ったのが始まりであるとされている。永順は1594年(文禄3年)に没しているのでそれ以前の天正年間の頃(1573年(天正元年)~1592年(文禄元年))の創建ではないかと推定されている。当初は中野にある宝仙寺の末寺で蓮花山金乗院と称したが、後に護国寺の末寺になり神霊山金乗院となった。江戸時代までは近隣の木之花開耶姫社の別当なども務めていたが、第二次世界大戦による戦災で本堂や徳川光圀の手によるものとされる木此花咲耶姫の額などが焼失。現在の本堂は1971年(昭和46年)に再建されたものである。また目白不動尊は、元々は当寺院のものではなく、1キロほど離れた関口駒井町(現在の文京区関口)にあった新長谷寺という寺院にあったものであった。
新長谷寺(しんちょうこくじ)は、山号を東豊山(とうぶさん)といい真言宗豊山派の寺院であった。当寺院にあった不動明王像は唐から帰ってきた弘法大師(空海)が出羽・湯殿山(一説には羽黒山)に行き修行を行っていた際に造られたといわれている像で、それが武蔵国関口(現在の文京区関口)に住む者の手に渡ったといわれているがその詳しい年代はわかっていない。その後、この寺院は江戸時代に入り元和4年(1618年)に奈良・長谷寺の僧・秀算によって中興された。秀算は二代将軍・徳川秀忠の命令によって長谷寺の本尊と同じ十一面観音像を造り、本堂などを建立し新長谷寺と命名した。寛永年間に三代将軍・徳川家光により、新長谷寺の本尊である不動明王像に五色不動のひとつとして『目白不動』の名を贈り、以後この不動明王像は目白不動明王と呼ばれるようになったという。また一帯の高台も目白台と呼ばれるようになった。(これは現在の地名になっている目白や目白台の起源になっている)その後、この寺院は五代将軍・徳川綱吉や桂昌院の帰依を受けて発展した。また江戸市民に時を告げる時の鐘を備えていた。しかし、新長谷寺はその後第二次世界大戦による戦災で壊滅な被害を受け、1945年(昭和20年)に廃寺となってしまった。本尊の目白不動は金乗院に移され、現在に至るまで金乗院が目白不動尊として信仰を得るようになっている。 |
神社・お寺情報 |
【金乗院】
札所:江戸三十三観音・第14番
御府内八十八箇所・第38番
詠歌:ふだらくや ここは岬の 船の竿 とるも捨つるも 法のさだ山
【新長谷寺】
札所:江戸五色不動
関東三十六不動・第14番
御府内八十八箇所・第54番札所
西早稲田天祖神社の別当寺 |
例祭日 |
|
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】まっきー
【
最終
更新日時】2023/03/05 18:52:36
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