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みんなの参拝記録
★★★★ 参拝日:2019年3月17日 00:00
★★★★★ 参拝日:2025年9月12日 00:00
御朱印は寺務所に「諸般の事情により御朱印の受け付けは中止いたしました」との張り紙がありました。 WEB上、2020年3月頃までは、御朱印の写真が確認できますので、それ以降に中止となったと推測できます。(ちょうどSARS-CoV-2感染症による非常事態宣言あたりですね。) 残念!
★★ 参拝日:2025年4月29日 11:40
参拝日:2021年8月13日 00:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 神奈川県相模原市南区当麻578 |
五畿八道 令制国 |
東海道 相模 |
アクセス | JR相模線原当麻 徒歩10分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0427780284 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.muryoukouji.or.jp/ |
御本尊 | 遊行開祖 一遍上人 寿像 |
宗派 | 時宗 |
創建・建立 | 弘長元年(1261年)一遍上人開山 |
由来 | 当寺をひらいたのは、「踊り念仏」を広めたことで知られる一遍上人さまです。 弘長元年(1261)秋もなかばのこと、一遍上人(当時23歳)は諸国遊行の旅の途中、依知の里の薬師堂(現在の瑠璃光寺〈神奈川県厚木市上依知 当寺から相模川をはさんで西南方面にある〉)に一夜の宿をとり、夜もすがら一心に念佛を唱えていました。すると真夜中頃東の空が急に光り輝き、妙見菩薩が姿を現され、「あなたのおいでになるのを長い間待っていた。この山はあなたに宿縁のある山である。この山で修行すれば念佛の功徳は四海に及ぶであろう。ゆめゆめ疑うことなかれ」と告げられ紫雲の中に消えたのです。 上人はこの有り難いお告げに感激し、夜の明けるのも待ちきれず、相模川を渡り、東北方の大樹の茂る亀形の丘に登ってみると、そこに妙見菩薩の小さなほこらを発見しました。上人はここに草庵(粗末な住まい)を結び金光院と名付け、修行に励まれましたが、弘長3年(1263)、父河野通廣公死去の悲報を受け、故郷の伊予(現在の愛媛県)に向け旅立たれました。 その後、文永7年(1270)上人が32歳の時、また弘安4年(1281)43歳の時に、奥州遊行の帰路、当山にとどまり修行をされたと伝えられています。 弘安5年(1282)の3月、上人は鎌倉方面に向け遊行の旅に発たれることになりました。 このとき名残を惜しむ弟子や信徒に乞われ、自らの姿を水鏡に映し、筆をとって絵姿を描き、自ら頭部を刻み、弟子たちも力を合わせて等身大の木像を完成されました。これが御影の像として尊ばれ、現在も本尊として安置され、多くの人々を信仰の道に導かれているのです。 |
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神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】ポチョムキン 【 最終 更新日時】2022/04/27 02:00:15 |