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基本情報
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住所 |
埼玉県朝霞市下内間木36 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
東武東上本線朝霞 徒歩32分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-863-3633 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
素盞嗚尊 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
当地は、西を新河岸川、東を荒川が流れて南で合流し、三方を川に囲まれていることから、水害に絶えず悩まされた。村の開発は伝えられていないが、天正十九年(一五九一)五月旗本加藤源四郎は「内間木之村」十七石などを宛行われた。恐らく開発当初は、自然堤防上に集落と畑がわずかに存在していたと思われる。それ以降石高の変化は見られないが、宝永四年(一七〇七)の検地では大幅に増加しておりこの時期に新田の開発が急激に進んだ。また、同年に新田が上内間木村として分村したため、本村である当村は下内間木村と改称した。
このような中で、地内の真言宗西福寺の境内社として祀られたのが当社である。西福寺は、開山の権大僧都香泉が寛永二十年(一六四三)の入寂と伝わることから江戸初期の創建と思われる。恐らく当社は、村の開発が進められる中で治水の神として西福寺の住職の手により勧請されたのであろう。『風土記稿』西福寺の項には「氷川社、客殿の西にあり、祠は二間半に四間、前に鳥居を建つ」と載る。寺の境内社としては大規模な社殿であり、化政期(一八〇四―三〇)には村の鎮守として位置付けられていたのであろう。村の発展とともに村人の信仰を集めていったと思われる。
明治初年の神仏分離により当社の別当から離れ、社格制定に際して村社に列した。(埼玉の神社より) |
神社・お寺情報 |
新撰武藏風土記稿
新座郡下內閒木村
西福寺 字西口ニアリ 眞言宗新義足立郡內谷村一乘院末 寳聚山ト號ス 客殿六間ニ五間半 本尊阿彌陀如來ヲ安置ス 開山ハ權大僧都香泉ト云 此人ハ寬永二十年三月二十四日示寂ス 法流開基ハ法印祐賢ナリ コレハ近來ノ人ニテ明和九年二月十五日寂ストイフ
氷川社 客殿ノ西ニアリ 祠ハ二間半ニ四間 前ニ鳥居ヲ建ツ |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/11/23 11:28:52
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