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基本情報
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住所 |
埼玉県行田市大字佐間1−10−6 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
秩父本線行田市 徒歩13分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-554-5926(行田八幡神社) |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
菅原道真公 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
佐間天神社縁起
佐間天神社の創建は忍城主の成田氏が忍城築城の折、谷郷、春日社、西を城の没沢の取入口とし、天神坊を出口としたと伝えられている。その天神坊を茲眼山安養院の守護神として天神社を勧請した。今から500年前のことである。享保五年十二月 (1720年) 京都の唯一神道、吉田殿より「正一位天満天神」の神格を与えられた。その後、文化十年八月二十五日 (1800年) 本殿が再建された。本殿に安置される天神座像は春日の作と伝えられている。又、境内の欅の樹齢は行田市教育委員会の推定によると四百年とされている。
佐間天神社には学問の神様、菅原道真公が祭神として祀られている。以前は茲眼山安養院が神護神であったが、その様子は今でも白山社、伊奈利社、厳島、明神......等の合祀社が多く両部神道の名残を留めている。神門は安政三年(1850年)の大火で類焼したがここで火が止まった為、火防の門と呼ばれた。
明治二十二年、佐間村、成田町、行田町が合併し忍町となり、妙音寺にあった温知学校を廃止し天神社社務所に佐間学校が開校した。正式には忍学校第三教場と言われた。大正四年三月、行田尋常小学校第三校舎(現在の新町会館)が新築されるまでここに存在したのである。
合祀記念碑
明治三十七八年戦役の未曾有の大捷に其局を結ぶや國威の燦然として發揚
すると共に敬神崇祖の念油然として湧き社殿の荘厳を増し神祇の威靈を高
めむとして小社叢祠を合併諸方に行はる忍町大字佐間村に無格社四あり中
佐間の神明社諏訪山の諏訪神社天神裏及び前佐間の伊奈利神社即ち是なり
諏訪神社は天正年間忍城主の勧請せる所と云傳へ忍城趾なる上諏訪の社に
對して之を下の諏訪と呼べり天神裏に鎮座せる伊奈利神社は俗に水戸殿稲
荷と穪して最も篤く尊崇せらる古老傳へて水戸城主の勧請なりと云ひ明治
初年に至るまで初午祭ごとに徳川家の代參ありきとぞ闔村の氏子之ら社殿
の完からず神威の微かならむことを恐れて村社天神社の境内なる嚴島神社と
共に同じ境内神社にます白山神社に合祀せむと欲し四十二年四月十五日其
筋の許可を得て五月十六日諸神を合せ齋きまつり社號を伊奈利神社と申奉
るかくて合祀成りて跡地立木より金三百圓の基本財産を得たり是に於いて
神殿始めて嚴かに社基漸く固くして敬神の誠氏子と其後昆とを通じて永く
替らざらむとす之れ宜しく石に刻して後世に傳ふべきなり予囑せられて其
記を作るものは唯その志に感じて己が菲才を顧みるに遑なければなり
明治四十五年四月
埼玉縣知事正五位勲四等嶋田剛太郎篆額
郷社玉敷神社々司河野省三撰文并書
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神社・お寺情報 |
新編武藏風土記稿
埼玉郡佐間村
天神社 村ノ鎭守トス
別當安養院 新義眞言宗ニテ下忍村遍照院末慈眼山ト號ス昔ハ皿尾村ニアリシヲ寬延二年義觀ト云僧コヽニ移セリ本尊隨求明王ヲ安置ス
境内掲示板
正木丹波守利英ゆかりの地
天正十八年(一五九〇年)に石田三成軍の忍城攻めの時、忍城主成田氏長重臣正木丹波守利英は『佐間口』と呼ぶ場所で守りを固め、死闘を繰り広げたと伝えられています。
佐間天神社付近はちょうど『佐間口』にあたり、正木丹波守利英の屋敷も当地にあったと伝えられています。
佐間鎮守 天神社
境内掲示板
佐間口
天正18年(1590)に石田三成らの軍勢が忍城を攻めた際、忍城主成田氏長の家臣正木丹波守利英が“佐間口"の守りを固め、死闘を繰り広げたと伝えられています。
この天神社付近がその “佐間口" にあたり、定かではありませんが 正木丹波守の屋敷がこの付近にあったとする説もあります。
天神社の道を挟んで東側にある臨済宗円覚寺派天真山高源寺は、“佐間口”の合戦の戦死者を弔うために正木丹波守が建立した寺院であると伝えられており、正木丹波守の墓碑も山門脇に残されています。
この“佐間口”の戦いなど忍城をめぐる攻防戦で、正木丹波守が奮戦したことが『成田記』『忍城戦記』、『増補忍名所図会』などに記されていますが、これらが記されたのは合戦から100年以上も後で、その内容をそのまま史実であると考えることはできません。
残念ながら“佐間口”でどのような戦いが繰り広げられたのか不明ですが、この天神社境内周辺には、いにしえの“佐間口”の攻防戦を感じ取れる雰囲気が残っているようにも思われます。
平成23年 行田市教育委員会
境内掲示板
行田市指定文化財
欅群
昭和39年1月31日指定
天神社は、享保5年(1720)12月京都の吉田家より神位を与えらえ、正一位天満天神と称するようになったとの記録がある行田市佐間地区の鎮守です。
祭神は学問の神として信仰されている菅原道真です。
その天神社境内に9本の巨木が群生するこの欅群は、いずれも樹齢400年以上と推定される古木群です。樹高は高いもので30m、目通り幹周は最大のもので5.0mを計ります。
落雷のため幹に空洞があるものもありますが、樹勢は旺盛で、枝張りもよく繁茂していて、神域の風致を保っています。また、秋には美しい紅葉が見られます。
平成23年 行田市教育委員会 |
例祭日 |
・大祓式 (六月三十日、十二月三十一日)
・八坂祭 (七月中旬の土、日)
・例大祭 (九月二十五日)
・新嘗祭 (十一月二十三日)
・勧学祭 (十二月初旬)
・元旦祭 (一月一日).
・初天神祭(二月二十五日)
・初午祭 (三月第一午の日)
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2023/06/17 15:12:01
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