みんなの御朱印
(おにぎりさん)
11 御朱印日:2024年4月23日 09:36 |
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(たんちゃんさん)
0 御朱印日:2024年4月6日 08:08 |
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(くまたろうさん)
15 御朱印日:2024年3月3日 09:20 |
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(ひくさん)
14 御朱印日:2024年2月25日 13:05 |
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(まーさんさん)
49 御朱印日:2024年2月24日 11:50 |
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(カマちゃんさん)
20 御朱印日:2024年1月27日 00:00 |
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(くまたろうさん)
23 御朱印日:2024年1月14日 09:05 |
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(ゆたさん)
10 御朱印日:2024年1月4日 10:39 |
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(よっち😊さん)
13 御朱印日:2023年12月30日 00:00 |
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(ウッチ1582さん)
13 御朱印日:2023年12月29日 08:48 |
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住所 | 京都府京都市東山区三十三間堂廻リ657 |
五畿八道 令制国 |
畿内 山城 |
アクセス | 京都市東西線京都市役所前 徒歩1分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0755610467 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | sanjusangendo.jp/ |
御本尊 | 千手観音 |
宗派 | 天台宗 |
創建・建立 | 長寛2年(1164年) |
由来 | [ 創建と歴史 ]
―お堂の再建と護持― 久寿二年( 1155 )、第 77 代天皇として即位した後白河天皇は、わずか 3 年で二条天皇に位を譲って以降、上皇として「院政」を行いました。三十三間堂は、その御所に造営されましたが、 80 年後に焼失し、まもなく御嵯峨上皇によって再建されました。 その後も手厚く護持され、室町期・足利第六代将軍義教により本格的な修復が行われます。彼は仏門に入って、比叡山・天台座主を勤め、京洛の禅寺に修理の寄付勧進を命じて、屋根瓦の葺き替えをはじめ、中尊・千体仏と 5 ヶ年を費やして内外両面の整備を行った。 ―太閤秀吉と三十三間堂― 当寺、交通の要所だったこの地に目を向け、後白河院や清盛の栄華にあやかろうと思い立った秀吉は、その権勢を天下に誇示するため奈良大仏を模した大仏殿方広寺を三十三間堂の北隣に造営し、お堂や後白河上皇の御陵をも、その境内に取り込んで土塀を築いた。今も、その遺構として南大門・太閤塀(ともに重文)が残ります。 お堂の修理も千体仏をはじめとして念入りに遂行され、その意志を継いだ秀頼の代まで続きました。大仏殿は、千人の僧侶により落慶供養されたといいます。 秀吉は、死後「豊国大明神」という神格として祀られ、お堂東隣の阿弥ヶ峯には壮麗な社殿がぞうえいされた。 ― HP 「蓮華王院 三十三間堂」より ― |
神社・お寺情報 | 洛陽三十三所観音霊場第十七番札所
● 文化財(寺宝) ・本堂(国宝) ・千手観音坐像(国宝) ・風神 雷神像(国宝) ・二十八部衆立像(国宝) ・南大門(重文) ・築地塀(重文) その他 多数 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】管理者 【 最終 更新日時】2023/01/31 13:52:18 |