みんなの御朱印
🈶御朱印有ります。社務所のインターホンを鳴らすと、女性の方が出てきて直書きしてくださいました。300円。拝殿と思っていた社殿を回り込んで本殿前まで行って参拝できるというあまり見ない様式の神社です。
(ととるしさん) ![]() |
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(新居浜太郎さん)
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(はなびさん)
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(rorexgtrさん)
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 大阪府高槻市三島江2-7-37 |
五畿八道 令制国 |
畿内 摂津 |
アクセス | 京阪本線光善寺 徒歩23分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 072-678-0488 |
FAX番号 | 072-678-0489 |
公式サイトURL | http://www.eonet.ne.jp/~mishimakamo/ |
御祭神 | 大山祇神 事代主神 |
創建・建立 | 300年代中葉 (古墳時代初期) |
旧社格 | |
由来 | 仁徳天皇は河内の茨田の堤をおつくりになるとともに、 淀川鎮守の神として、ここ摂津の「御島」に、大山祇神をお迎えになりました。(それ以前に事代主の后達が三島の地に戻った頃、あるいは御子達がヤマトに移る際に創建されたのではないかとも考えられる。) 「御島」とは淀川の「みしまえ(三島江)」にある川中島のことで、このあたりは淀川でもっ とも神妙幽玄な景観をもっていました。 ここは古代の「玉川湖沼」(仮称)が淀川にながれこむ入江「玉江」(三島江の別称)にあ って、島は淀川本流に、玉川水路が出させた土砂が堆積したもので、玉川の土砂をもって、できたゆえに「御島」とあがめられたのです。 当社はもとは、「御島(三島)の社」とあがめられ、淀川の鎮守であるとともに、農耕を守り王都難波を守護する神として、祈りつづけられてまいりました。 豊臣秀吉が淀川右岸堤防を築いたとき、それまで川中島にあった当社を三島江村の中にお遷ししました。 高槻藩主永井公は、淀川守護の任務を幕府からあたえらえていたので、格別の尽力により、社域をととのえ「三島鴨神社」と称することになりました。 当社から、御魂がうつされて、伊豫(愛媛県大三島)の「大山祇神社」、伊豆(静岡県三島市)の「三嶋大社」がつくられ「日本三『三島』」として、崇拝されるようになり、三社の根源社として、当社は格別にあがめられました。 後白河上皇に仕えた建春門院が、 当社に祈願して、高倉天皇を懐妊し、安産した結果、上皇の命によって平重盛が、京都東山区上馬町に、当社の御魂をお遷しして「三島神社」をつくりました。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】ととるし 【 最終 更新日時】2025/09/23 14:23:27 |