3.0
大潟神社
(おおがたじんじゃ)
和歌山県田辺市新庄町1441番地
みんなの御朱印
|
(rorexgtrさん)
 136
御朱印日:2020年5月23日 16:12
|
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
みんなの参拝記録
|
(たか&すみさん)
おすすめ度:
0
 25
参拝日:2020年12月11日 15:10
|
|
(じゃすてぃさん)
おすすめ度:
★★★
0
 88
参拝日:2019年10月21日 15:10
|
|
(ゴルゴさん)
おすすめ度:
0
 291
参拝日:2018年6月13日 00:00
|
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
和歌山県田辺市新庄町1441番地 |
五畿八道 令制国 |
南海道 紀伊 |
アクセス |
JR紀勢本線紀伊新庄 徒歩0分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0739-22-7224 |
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御祭神 |
(主祭神)天照大御神 大山祇神 建御雷之男命 武夷鳥命 (配祀神)須佐之男命 言代主命 手名槌命 大名牟遅命 足名槌命 火之迦具槌命 大土命 菅原道眞公 豊宇気比売命 大国主命 稲田比賣命 猿田比古命 宇迦之魂命 |
創建・建立 |
|
旧社格 |
|
由来 |
もと若一王子社と称し、山麓の熊野街道大辺路に面して山麓に鎮座していたのを、昭和十六年六月山頂の勝景地に神殿を造営して奉遷した。 社伝によると欽明天皇十(五二〇)年の頃の創建とあるが詳でない。最も古い「田辺村々・瀬戸・神社書上」(慶安二年)にも記されていることから慶安二(一六四九)年以前の創立であることは確かである。明治維新の神仏分離の動きの中で明治元年九月大潟宮(大潟神社)と改称した。同六年五月村社となる。同十年十月には村内の神社馬目神社・愛宕神社・菅原神社・田中神社・金刀比羅神社を夫々合祀して境内社とした。同四十年一月神饌幣帛料供進社に指定され、翌四十一年の一村一社の神社合祀令で村内の神社(内ノ浦の山祇神社、鳥ノ巣の神島神社、神島神社瑤拝所)の祭神を四十二年七月に本殿に合祀した。同時に跡ノ浦の稲田神社と山田神社、及び内ノ浦山祇神社の小社の祭神を本神社左脇殿に、また北原の川内神社と山祇神社の小社の祭神とを同じく右脇殿に合祀した。大正三年二月には会計法適用社にも指定された。昭和十六年七月皇紀二千六百年記念事業として新殿を山頂に竣工し遷宮した。例祭日は十月二十五日であったが昭和十六年より十一月十日。更に昭和五十九年に十一月三日と変更した。(例祭)例祭の準備 獅子舞。町内四地区(橋谷、名喜里、北長、跡ノ浦)から出す。笛太鼓のはやしに獅子(一)天狗(一)お多福(一)が演舞。「幣の舞」「花の舞」「剣の舞」とあり約二十分余を要す。これのけいこは、一ヶ月前から夫々の地区の会館で夜間行う。祭りの前日朝から地区の戸毎に「地下舞わし」をして廻る。夜は名喜里地区(鎮座地)の獅子連が町筋を練りながらお宮へお渡りをする。この時住吉講の花笠、次に子供神輿(いずれも名喜里地区)が前につきゆっくりと先導する。社前に到着すると花笠を立て、広庭を飾る。そして獅子は「幣の舞」を奉納する。幟立て、祭りの前日朝、社頭に立てはやす。社殿に御幕を飾る。一週間前から社前に献灯。祭りの前々日夜に獅子連のお祓い神事。子供神輿御神霊移し式を行う。同前々日迄に幣を作る(当宿) 例祭。 社前広庭で、十二時から各地区順次獅子舞を奉納する。十三時迄に各地区の当宿の人達が参拝し献饌、奉幣する。子供神輿も還御する。御神霊移しの神事を行う。祭礼は十三時から始め、総代、当宿が参拝。巫女の里神楽、湯立神事を行って終る。その間外では奉納獅子舞が続いている。獅子舞がすべて終了した後、投餅をして祭りは終る。 |
神社・お寺情報 |
|
例祭日 |
11月3日 |
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
【
最終
更新者】ゴルゴ
【
最終
更新日時】2018/06/13 10:56:56
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。