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住所 | 埼玉県児玉郡美里町猪俣2146 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス | JR八高線用土 徒歩20分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://kanatakesan-chofukuji.or.jp/introduction/shoenji/ |
御本尊 | |
宗派 | 真言宗 |
創建・建立 | 十一面観世音菩薩 |
由来 | 境内碑
落慶記念 猪俣山正円寺 本堂鐘楼庫裡 昭和六十三年四月廿四日 当山は開創詳らかならず諸説あるも何れも確証がない 昭和二十一年までは大里郡岡部町大字針ケ谷弘光寺末であったが現在は高野山真言宗総本山金剛峯寺に属する 本堂庫裡等数度の修理を経てきたと思われるがおよそ百年以上の風雪にようやく老朽化が進み改築のやむなき状態に立ち至った よって寺有財産山林三町歩余を市川総業株式会社に売却し本堂庫裡の改築を檀徒総会に於て決議即日建設委員を選任直ちに昭和六十二年一月十三日深谷市西大沼吉田建設有限会社に本堂の新築工事を発注同年五月十七日上棟式を執行同年十一月十九日竣工をみた つゞいて庫裡の新築工事を当所の真下製材工場に発注昭和六十三年三月三十一日に完成した この間市川総業株式会社の寄進による鐘楼堂並びに梵鐘及び境内外柵ブロック塀等も相ついで竣工し昭和六十三年四月二十四日落慶の運びに至った 一年有余の工事中一毛の魔事なく竣工できたことはもとより本尊十一面観世音菩薩の冥鑑によるも建設委員諸賢をはじめ檀信徒各位の献身的な協力を多とするものである 昭和六十三年四月吉日 南無大師遍照金剛 猪俣山正円寺第十四世 少僧正 丸山一榮合掌 新編武藏風土記稿 那賀郡猪俣村 正圓寺 新義眞言宗榛澤郡針ヶ谷村弘安寺末 猪俣山歡喜院ト號ス 本尊十一面觀音ヲ安ス 中興開山宗淸寬文十二年正月廿八日示寂 鐘樓 文化八年鑄造ノ鐘ヲカク |
神社・お寺情報 | 境内掲示板
正円寺の鰐口 昭和37年3月20日指定 美里町指定有形文化財 正円寺には、戦国時代の武将猪俣能登守邦憲が聖天社に奉納した2つの鰐口が伝わっている。表面に刻まれている年号からそれぞれ「永禄鰐口」「天正鰐口」と呼ばれている。 ○永禄鰐口 表 奉寄進鰐口 信州佐久郡伴野荘野沢郷医王山薬師寺 大旦那 源信是 干時永禄 六年癸亥 十月吉日敬白 裏 奉寄進鰐口 信州佐久郡野沢郷八幡宫常住 大旦那 源信是 干時永禄十二年己巳 七月吉日敬白 この鰐口は源信是によって、はじめ永禄6年(1563)10月に信州佐久郡伴野荘野沢郷(長野県佐久市)の医王山薬師寺に寄進され、さらに永禄12年(1569)7月に、同郷の八幡宮に再寄進されたものである。それを天正10年(1633)小田原城主北条氏直から信州佐久郡内山城(長野県佐久市)の防備を命じられた猪俣能登守邦憲が戦利品として、持ち帰ったものといわれている。 ○天正鰐口 奉懸聖天鰐口武州那珂郡猪侯村 大旦那能登守 郡縄 天正十六年戊子 卯月吉日 願主 昭慶 敬白 この鰐口は、天正16年(1588)4月猪俣能登守範直(邦憲)が戦勝祈願のため、猪俣の聖天宮に奉納したものである。 「郡縄」は「クニノリ」の当て字と思われる。 ■猪俣能登守邦憲 戦国時代末期の武士。鉢形城主北条氏邦の重臣。亡父菩提のため光厳寺(美里町大字白石)の中興開基となった。北条氏邦の持城となった沼田城の城代となったが、真田昌幸の持城である名胡桃城(現在の群馬県利根郡みなかみ町。群馬県指定史跡)を奪取したため、豊臣秀吉の小田原攻めの口実を与え、後北条氏滅亡のきっかけとなった。 ■聖天社 猪俣氏が代々崇敬した社であると伝わる。神仏分離後に二柱神社と社号が改められた。正円寺は聖天社の別当であったため、奉納された鰐口が伝わっている。 美里町教育委員会 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2024/12/29 07:05:54 |