東京都品川区南品川3-5-17 海照山 普門院 品川寺の写真1
東京都品川区南品川3-5-17 海照山 普門院 品川寺の写真2
東京都品川区南品川3-5-17 海照山 普門院 品川寺の写真3
 4.0

海照山 普門院 品川寺  (かいしょうざん ふもんいん ほんせんじ)


東京都品川区南品川3-5-17

みんなの御朱印

東海七福神の毘沙門天 書置き
(みったんさん)
6 御朱印日:2026年1月11日 00:00
(sshimiさん)
6 御朱印日:2025年10月5日 12:50
たまたま天王祭初日に参拝させてもらいました。 御朱印書いてくださったお寺のおじいさんがとても感じが良く、お祭りの話など色々教えていただきました。楽しいお話ありがとうございました。
(さささん)
13 御朱印日:2025年6月6日 07:12
(ヒロ&ダディさん)
16 御朱印日:2025年4月27日 00:00
2025東海道品川宿御朱印巡り 書置き
(おーたむんさん)
14 御朱印日:2025年3月22日 00:00
(ひでパパさん)
17 御朱印日:2025年3月18日 00:00
(ひでパパさん)
9 御朱印日:2025年3月18日 00:00

(ひでパパさん)
25 御朱印日:2025年1月24日 00:00

(ひでパパさん)
19 御朱印日:2025年1月24日 00:00
直書きしていただきました。
(ダッカスさん)
26 御朱印日:2024年5月30日 18:20

自分の御朱印

まだ御朱印が登録されていません

みんなの動画

自分の動画

まだ動画が登録されていません

みんなの参拝記録

(パスカルさん)
おすすめ度: ★★★★
1 134 参拝日:2019年4月8日 14:10
(たろささん)
おすすめ度: ★★★★★
1 45 参拝日:2017年7月31日 00:00
札所:江戸三十三観音・第31番    江戸六地蔵・第1番    東海七福神・毘沙門天 【本堂】 御朱印
(優雅さん)
おすすめ度: ★★★
1 96 参拝日:2016年12月4日 13:04
(マックスさん)
おすすめ度:
0 10 参拝日:2025年11月23日 09:30
(sshimiさん)
おすすめ度: ★★★★★
0 4 参拝日:2025年10月5日 12:50
(ヒロ&ダディさん)
おすすめ度:
0 20 参拝日:2025年4月27日 00:00
2025東海道品川宿御朱印巡り 書置き
(おーたむんさん)
おすすめ度:
0 0 参拝日:2025年3月22日 00:00
(fujiさん)
おすすめ度:
0 24 参拝日:2025年2月9日 10:51
(ああああさん)
おすすめ度:
0 11 参拝日:2025年2月8日 14:22
(ひくさん)
おすすめ度:
0 43 参拝日:2024年2月11日 00:00

自分の参拝記録

まだ参拝記録が登録されていません

基本情報


※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 東京都品川区南品川3-5-17
五畿八道
令制国
東海道 武蔵
アクセス 京浜急行本線青物横丁 徒歩0分
御朱印授与時間
電話番号 03-3474-3495
FAX番号 03-3458-2077
公式サイトURL http://honsenji.net/
御本尊 観世音菩薩 (水月観音、聖観音)
宗派 真言宗醍醐派
創建・建立 大同年間(806年~810年)
由来  品川は、歴史の古い町です。東に海を、西に肥沃(ひよく)な農地を有し、海の幸、野の幸にめぐまれ、人々は豊かな平和な生活をして来ました。1200年、中世といわれた時代からは、「港町」として栄え、江戸時代(1603年~)になると、東海道五十三次の第一番目の宿場町となり「旅人の町」として最も栄えました。当時の人口は、6000人、家数1200件を数え、そのうち約130件前後は、「旅篭屋(はたごや)」でした。
 品川寺の歴史は、町そのものです。遠く、大同年間(806年~810年)に開創された品川で最も古いお寺です。本尊「水月観音(すいげつかんのん)」は、弘法大師空海上人(774年~835年)が東日本を教え、導いた時、この地の領主、品河(しなかわ)氏に授け、以来、応永2年(1395年)品河左京亮(しなかわさきょうのすけ)の代まで代々同家に伝えられました。同年、足利(あしかが)・上杉(うえすぎ)の合戦(上杉禅秀の乱)で品河一族は滅び、それ以後は、草堂に安置され「観音堂」と称され、町の人々の信仰を集めてきました。その後、太田道灌が、この地に勢力を伸ばすと、道灌は「水月観音」を信仰し、あわせて自分の持仏である「聖観音」像をここに移し安置しました。そして、長禄元年(1457年)道灌は、江戸城を築き、城に移るとき、この地に伽藍を建立し、「観音堂」を「金華山普門院大円寺(きんかざん・ふもんいん・だいえんじ)と号しました。
 不幸にも、永禄9年(1566年)、甲州の武田信玄が小田原の北条氏政を攻めたとき、北条氏の支配下にあった品川一帯は、焼き払われ、観音堂も焼かれ、「水月観音」像は、甲州に持ち出されました。しかし、持ち帰った二人の武士は、まもなく発狂し、それを聞いた信玄は、一人の「聖(ひじり)」山伏(やまぶし)に頼み、水月観音像を品川の観音堂の地に持ち帰えらせ、草堂を造り、安置させました。
 江戸時代に入ると、山形県の僧、弘尊上人が、この草堂に住持し、「水月観音」像を奉持、寛文元年(1652年)四代将軍・徳川家綱公により寺領4800坪を拝領し、太田一族の外護のもと、一大伽藍を建立し、寺号を「金華山普門院品川寺(きんかざん・ふもんいん・ほんせんじ)」と改めました。後に山号は「海照山(かいしょうざん)」となり、太田摂津守(おおたせっつのかみ)も、寺領を寄進し、以来、太田備中守(おおたびちゅうのかみ)、松平讃岐守(まつだいらさぬきのかみ)、松平阿波守(まつだいらあわのかみ)の三家の外護を受け、お寺は大きく栄えました。
 この間、明暦3年(1657年)9月18日には、弘尊上人の発願により、徳川三代の将軍、家康(いえやす)・秀忠(ひでただ)・家光(いえみつ)の供養のために大梵鐘が、京都三条の鋳物師(いものし)・大西五郎左衛門(おおにしごろうざえもん)により、鋳造され、四代将軍・徳川家綱によって寄進されました。この大梵鐘は、徳川三代の将軍の号、東照宮(とうしょうぐう)、台徳院殿(だいとくいんでん)、大猷院殿(だいゆういんでん)と、京都七条の大仏師・康斎(こうさい)による6体の観音像が浮き彫りにされ、さらに、観音経一巻が陰刻されており、「武蔵風土記(むさしふどき)」、「江戸名所図絵(えどめいしょずえ)」には『世にもまれなる梵鐘』と記されている銘鐘です。
 宝永五年(1708年)には、江戸深川の僧、地蔵坊正元(じぞうぼうしょうげん)の発願により、座高2メートル75センチの青銅の地蔵菩薩座像(じぞうぼさつざぞう)が、江戸・神田鍋町(かんだなべまち)の鋳物師・太田駿河守正義(おおたするがのかみまさよし)によて鋳造され寄進されました。この地蔵菩薩座像は、江戸に出入りする六つの街道の入口にれぞれ一体ずつ安置され、「江戸六地蔵」と称され、品川寺には、その第一番東海道の尊像として、「天下安全(てんかあんぜん)、仏法繁栄(ぶっぽうはんえい)、衆人快楽(しゅうじんけらく)」の祈願のもと奉安されています。
 境内には、樹齢400年の大銀杏(おおいちょう)と、その下に2メートルの自然石に釈迦如来(しゃかにょらい)の種字(しゅじ)「バク(baku-)」を彫り、「光明石(こうみょうせき)」と称して、江戸時代の民間信仰を代表する見事な庚申塔(こうしんとう)も、当時の繁栄を今に伝えています。
 江戸時代を通し。品川寺は、本尊水月観音と大梵鐘、江戸六地蔵第1番尊の3つを、お寺の三宝(さんぼう)として、大切にし、町の人々の深い信仰と、東海道を行き交う多くの旅人にこよなく愛されました。
 時は移り、江戸時代の末(1850年代)から明治維新を迎えるころ、寺域は全く荒廃し、大梵鐘も海外に搬出され、草堂一宇に本尊を安置し、江戸六地蔵と共にわずかに法灯を伝えるのみとなりました。
 大正5年(1916年)順海和上(じゅんかいわじょう)が入山、行方不明の大梵鐘を捜すなか、、品川寺の復興計画もめぐらされました。大正8年(1919年)大梵鐘は、スイス国ジュネーブ市アリアナ美術館にあることを確認、同12年(1623年)には、観音堂が完成、同15年(1926年)5月18日に順海和上は、品川寺第三十世住職として晋山(しんざん)しました。以後、計画は順調に進み、昭和5年(1930年)5月5日には、大梵鐘がジュネーブより贈還され、これを期に、鐘楼(しょうろう)、会堂(かいどう)、客殿、拝殿(はいでん)、会館と建立され、今日に至っています。
 承応元年5月(1652年)、将軍家綱公より寺領4800坪を拝領し、太田道顕の外護のもと一大伽藍を建立し、金華山普門院品川寺と改称する。のち山号を海照山と改める。
 江戸時代、諸大名の御祈願所となり、主に松平讃岐守(まつだいらさぬきのかみ)、松平阿波守(まつだいらあわのかみ)、太田備中守(おおたびっちゅうのかみ)の三家の外護を受ける。
 明治維新の際、檀主絶乏寺財、堂宇等散じて殆んど廃す。
 大正年間に入り、当山復興の計画がめぐらされ、同12年に総レンガ造りの観音堂が完成。次いで行方不明であった大梵鐘がスイス国ジュネーブ市アリアナ博物館に所有されていることを知り、その返還交渉が行なわれ、昭和5年5月5日、約70年ぶりに再び当山にもどる。
 以来、当山の復興は進められ、鐘楼、会堂、客殿、拝殿、山門、会館等の建立がなされた。
神社・お寺情報 寺格:別格本山

札所:江戸三十三観音・第31番
   江戸六地蔵・第1番
   東海七福神・毘沙門天
例祭日
神紋・寺紋 未登録
更新情報 【 最終 更新者】オザク先生
【 最終 更新日時】2023/03/12 19:54:06
 
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々はこちらよりお気軽にご相談ください。

近くの神社・お寺

近くのお城

このエントリーをはてなブックマークに追加 フォローする

通報

※「情報が異なる」「迷惑情報」を発見された方は、通報するを押してください。

神社・お寺検索

※は必須です
 
 
*
*

 
 
 
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録はこちら

サイト内全検索

最近検索された神社・お寺

円覚寺 舎利殿  鵜戸神社(浮田神社境内末社)  伏見稲荷神社  小祠  藤宮神社  大六天社  庚申社  稲荷神社  田之神  岸和田弁財天  力石(天沼熊野神社)  出世杉の根(天沼熊野神社)  円教坊  薬師寺  金子山稲荷神社  殉国碑(貴船大神境内碑)  子安神社  稲荷社  蛭子神社  水神社(白鬚神社境内社)  稲荷神社  二宮天満宮  明石稲荷  布袋尊(久國神社境内)  町屋観音堂  厄除天井大獅子(波除神社 境内)  南投三塊厝天明宮  大師堂  ハワイ大神宮  天満宮(船尾宗像神社 境内)  金毘羅宮  玉柳稲荷神社(田中神社境内)  薬王寺  山森阿蘇神社  霊符神社  石門洞  田ノ浦庵  堀越庵  庚申堂  西村高木明神  橫濱媽祖廟  稲荷神社  雷電神社  稲荷神社(神明社境内社)  覚乗寺高台院霊屋  東照宮(八幡神社境内社)  八幡神社  日吉神社  夢崎明神  稲荷神社  熊野神社  天照皇大神宮(鶴嶺八幡宮)  龍高山洞渓院  八幡神社  伊弉諾神社  忠魂碑(玉鉾神社境内)  阿波良神社・瓦稲荷神社  地蔵堂  禊神道教会  速川神社  高澤神社  愛宕神社  宝林山延命寺  諏訪社  出雲社  東照山王権現社(雨引観音)  兒宮社・子守社  山津見神社  蛇神社  みなとみらい勝利神社  神門(尾山神社 境内)  八幡神社御旅所  河内國金比羅宮  富丘八幡神社  道祖神(田無神社境内)  白龍神(田無神社)  白龍大神、大力大明神  八坂神社(下野國一社八幡宮)  河野稲荷神社  天祖若宮八幡宮境内社(本殿右側・赤の屋根)  心月院  諸神宮(北野天神社境内)  上野熊野座神社  熊谷稲荷神社(神明神社)  稲倉稲荷神社(熊野神社)  穴生鷹見神社  塚本稲荷大神(塚本神社境内末社)  惠光地蔵尊  芳幸寺  合祀三社(稲毛浅間神社境内社)  山ノ神  普寛霊場  大福稲荷社(大明神社境内社)  市之坪稲荷神社  萬徳院釈迦寺 小室寺院  蚕玉神社(巨摩神社 境内社)  名水神社 龍神宮(甲斐駒ヶ岳神社 境内社)  稲荷神社(子安神社 境内社)  大杉神社(子安神社 境内社)  納骨堂 

何を投稿しますか?

神社・お寺検索

初めてご利用の方は、使い方をお読みください。
*は必須です
 
 
*
*

 
 
 
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録はこちら
※「記録を色分け」を選ぶと、参拝や御朱印の記録が地図上で色分け表示されます。(検索に時間がかかります。ログインが必要です。)