東京都品川区南品川3-5-17 海照山 普門院 品川寺の写真1
東京都品川区南品川3-5-17 海照山 普門院 品川寺の写真2
東京都品川区南品川3-5-17 海照山 普門院 品川寺の写真3
 4.0

海照山 普門院 品川寺  (かいしょうざん ふもんいん ほんせんじ)


東京都品川区南品川3-5-17

みんなの御朱印

直書きしていただきました。
(ダッカスさん)
5 御朱印日:2024年5月30日 18:20
(ひくさん)
16 御朱印日:2024年2月11日 13:10
(スエさん)
18 御朱印日:2024年1月27日 12:38
(sshimiさん)
18 御朱印日:2023年11月5日 10:55
(ゆずさん)
20 御朱印日:2023年9月30日 15:30
御朱印は書置です
(バルタさん)
12 御朱印日:2023年3月4日 00:00
御朱印は書置です
(バルタさん)
10 御朱印日:2023年3月4日 00:00
(バルタさん)
13 御朱印日:2023年3月4日 00:00
(sshimiさん)
14 御朱印日:2023年1月29日 10:20
江戸三十三観音第31番
(スタフォードさん)
23 御朱印日:2022年10月10日 11:00

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みんなの参拝記録

(パスカルさん)
おすすめ度: ★★★★
1 95 参拝日:2019年4月8日 14:10
(たろささん)
おすすめ度: ★★★★★
1 17 参拝日:2017年7月31日 00:00
札所:江戸三十三観音・第31番    江戸六地蔵・第1番    東海七福神・毘沙門天 【本堂】 御朱印
(優雅さん)
おすすめ度: ★★★
1 58 参拝日:2016年12月4日 13:04
(ひくさん)
おすすめ度:
0 12 参拝日:2024年2月11日 00:00
(ゆんさん)
おすすめ度:
0 4 参拝日:2024年1月30日 00:00
(スエさん)
おすすめ度:
0 12 参拝日:2024年1月27日 12:38
(ゆずさん)
おすすめ度:
0 13 参拝日:2024年1月2日 08:45
(チャチャチャさん)
おすすめ度:
0 8 参拝日:2023年11月11日 14:42
(sshimiさん)
おすすめ度: ★★★★★
0 4 参拝日:2023年11月5日 10:55
(くれないあたるさん)
おすすめ度:
0 9 参拝日:2023年11月3日 10:49

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基本情報


※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 東京都品川区南品川3-5-17
五畿八道
令制国
東海道 武蔵
アクセス 京浜急行本線青物横丁 徒歩0分
御朱印授与時間
電話番号 03-3474-3495
FAX番号 03-3458-2077
公式サイトURL http://honsenji.net/
御本尊 観世音菩薩 (水月観音、聖観音)
宗派 真言宗醍醐派
創建・建立 大同年間(806年~810年)
由来  品川は、歴史の古い町です。東に海を、西に肥沃(ひよく)な農地を有し、海の幸、野の幸にめぐまれ、人々は豊かな平和な生活をして来ました。1200年、中世といわれた時代からは、「港町」として栄え、江戸時代(1603年~)になると、東海道五十三次の第一番目の宿場町となり「旅人の町」として最も栄えました。当時の人口は、6000人、家数1200件を数え、そのうち約130件前後は、「旅篭屋(はたごや)」でした。
 品川寺の歴史は、町そのものです。遠く、大同年間(806年~810年)に開創された品川で最も古いお寺です。本尊「水月観音(すいげつかんのん)」は、弘法大師空海上人(774年~835年)が東日本を教え、導いた時、この地の領主、品河(しなかわ)氏に授け、以来、応永2年(1395年)品河左京亮(しなかわさきょうのすけ)の代まで代々同家に伝えられました。同年、足利(あしかが)・上杉(うえすぎ)の合戦(上杉禅秀の乱)で品河一族は滅び、それ以後は、草堂に安置され「観音堂」と称され、町の人々の信仰を集めてきました。その後、太田道灌が、この地に勢力を伸ばすと、道灌は「水月観音」を信仰し、あわせて自分の持仏である「聖観音」像をここに移し安置しました。そして、長禄元年(1457年)道灌は、江戸城を築き、城に移るとき、この地に伽藍を建立し、「観音堂」を「金華山普門院大円寺(きんかざん・ふもんいん・だいえんじ)と号しました。
 不幸にも、永禄9年(1566年)、甲州の武田信玄が小田原の北条氏政を攻めたとき、北条氏の支配下にあった品川一帯は、焼き払われ、観音堂も焼かれ、「水月観音」像は、甲州に持ち出されました。しかし、持ち帰った二人の武士は、まもなく発狂し、それを聞いた信玄は、一人の「聖(ひじり)」山伏(やまぶし)に頼み、水月観音像を品川の観音堂の地に持ち帰えらせ、草堂を造り、安置させました。
 江戸時代に入ると、山形県の僧、弘尊上人が、この草堂に住持し、「水月観音」像を奉持、寛文元年(1652年)四代将軍・徳川家綱公により寺領4800坪を拝領し、太田一族の外護のもと、一大伽藍を建立し、寺号を「金華山普門院品川寺(きんかざん・ふもんいん・ほんせんじ)」と改めました。後に山号は「海照山(かいしょうざん)」となり、太田摂津守(おおたせっつのかみ)も、寺領を寄進し、以来、太田備中守(おおたびちゅうのかみ)、松平讃岐守(まつだいらさぬきのかみ)、松平阿波守(まつだいらあわのかみ)の三家の外護を受け、お寺は大きく栄えました。
 この間、明暦3年(1657年)9月18日には、弘尊上人の発願により、徳川三代の将軍、家康(いえやす)・秀忠(ひでただ)・家光(いえみつ)の供養のために大梵鐘が、京都三条の鋳物師(いものし)・大西五郎左衛門(おおにしごろうざえもん)により、鋳造され、四代将軍・徳川家綱によって寄進されました。この大梵鐘は、徳川三代の将軍の号、東照宮(とうしょうぐう)、台徳院殿(だいとくいんでん)、大猷院殿(だいゆういんでん)と、京都七条の大仏師・康斎(こうさい)による6体の観音像が浮き彫りにされ、さらに、観音経一巻が陰刻されており、「武蔵風土記(むさしふどき)」、「江戸名所図絵(えどめいしょずえ)」には『世にもまれなる梵鐘』と記されている銘鐘です。
 宝永五年(1708年)には、江戸深川の僧、地蔵坊正元(じぞうぼうしょうげん)の発願により、座高2メートル75センチの青銅の地蔵菩薩座像(じぞうぼさつざぞう)が、江戸・神田鍋町(かんだなべまち)の鋳物師・太田駿河守正義(おおたするがのかみまさよし)によて鋳造され寄進されました。この地蔵菩薩座像は、江戸に出入りする六つの街道の入口にれぞれ一体ずつ安置され、「江戸六地蔵」と称され、品川寺には、その第一番東海道の尊像として、「天下安全(てんかあんぜん)、仏法繁栄(ぶっぽうはんえい)、衆人快楽(しゅうじんけらく)」の祈願のもと奉安されています。
 境内には、樹齢400年の大銀杏(おおいちょう)と、その下に2メートルの自然石に釈迦如来(しゃかにょらい)の種字(しゅじ)「バク(baku-)」を彫り、「光明石(こうみょうせき)」と称して、江戸時代の民間信仰を代表する見事な庚申塔(こうしんとう)も、当時の繁栄を今に伝えています。
 江戸時代を通し。品川寺は、本尊水月観音と大梵鐘、江戸六地蔵第1番尊の3つを、お寺の三宝(さんぼう)として、大切にし、町の人々の深い信仰と、東海道を行き交う多くの旅人にこよなく愛されました。
 時は移り、江戸時代の末(1850年代)から明治維新を迎えるころ、寺域は全く荒廃し、大梵鐘も海外に搬出され、草堂一宇に本尊を安置し、江戸六地蔵と共にわずかに法灯を伝えるのみとなりました。
 大正5年(1916年)順海和上(じゅんかいわじょう)が入山、行方不明の大梵鐘を捜すなか、、品川寺の復興計画もめぐらされました。大正8年(1919年)大梵鐘は、スイス国ジュネーブ市アリアナ美術館にあることを確認、同12年(1623年)には、観音堂が完成、同15年(1926年)5月18日に順海和上は、品川寺第三十世住職として晋山(しんざん)しました。以後、計画は順調に進み、昭和5年(1930年)5月5日には、大梵鐘がジュネーブより贈還され、これを期に、鐘楼(しょうろう)、会堂(かいどう)、客殿、拝殿(はいでん)、会館と建立され、今日に至っています。
 承応元年5月(1652年)、将軍家綱公より寺領4800坪を拝領し、太田道顕の外護のもと一大伽藍を建立し、金華山普門院品川寺と改称する。のち山号を海照山と改める。
 江戸時代、諸大名の御祈願所となり、主に松平讃岐守(まつだいらさぬきのかみ)、松平阿波守(まつだいらあわのかみ)、太田備中守(おおたびっちゅうのかみ)の三家の外護を受ける。
 明治維新の際、檀主絶乏寺財、堂宇等散じて殆んど廃す。
 大正年間に入り、当山復興の計画がめぐらされ、同12年に総レンガ造りの観音堂が完成。次いで行方不明であった大梵鐘がスイス国ジュネーブ市アリアナ博物館に所有されていることを知り、その返還交渉が行なわれ、昭和5年5月5日、約70年ぶりに再び当山にもどる。
 以来、当山の復興は進められ、鐘楼、会堂、客殿、拝殿、山門、会館等の建立がなされた。
神社・お寺情報 寺格:別格本山

札所:江戸三十三観音・第31番
   江戸六地蔵・第1番
   東海七福神・毘沙門天
例祭日
神紋・寺紋 未登録
更新情報 【 最終 更新者】オザク先生
【 最終 更新日時】2023/03/12 19:54:06
 
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