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天徳山地藏院萬福寺
埼玉県坂戸市北浅羽193
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基本情報
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住所 |
埼玉県坂戸市北浅羽193 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
東武東上本線北坂戸 徒歩42分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
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創建・建立 |
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由来 |
新編武藏風土記稿
入間郡北淺羽村
滿福寺 新義眞言宗今市村法恩寺ノ門徒ナリ 天德山地藏院ト號ス 相傳フ當寺ハ當所ノ名家淺羽氏ノ菩提寺ナリト 淺羽氏ノ事ハ東鑑等ノ書ニモ見エテ 當國七黨ノ內ノ侍ナリ 猶上淺羽村ノ條見合スヘシ サレハ古ハ當寺モ然ルヘキ古刹ナリシナラン 永祿ノ頃戰爭ノ世ニ上田周防守松山城ヲ守リテ落城ノ時敵兵境內ヘ亂妨シテ放火セシ後一旦廢絕セシヲ 後ニ至リテ俊誠ト云僧再建セリ 故ニ今此僧ヲ中興開山トセリ 寺傳ニ曰俊誠元和元年九月二十三日寂セリ 寬文十年九月十三日淺羽三右衞門ト云者ノ記セシモノニ當寺正八幡建立ノ來由ヲ尋ヌルニ 昔內大臣伊周公左遷ノ時末子一人京都ニ留メラレシカ 有道氏ノ養子トナリテ關東ヘ下向ス 是ヲ有道貫主遠峯ト號ス 其子ヲ武藏守惟行ト云 延久元年七月七日卒ス 其庶流淺羽小大夫行成ト云モノ 右大將賴朝ノ時功アリテ 兩淺羽長岡小見野粟生田等ノ地ヲ賜ハル 又賴朝ノ命ニヨリテ鶴岡正八幡ヲ淺羽庄ヘ遷セリ 是今ノ八幡社ナリ 其三男五郞兵衞行長ハ賴朝ノ供奉シテ奧州ヘ下リ戰功アリシモノナリ 此人當寺ヲ再建ス 當寺昔ハ眞言律宗ナリ 後改テ眞言宗トナル 其後建武年中尊氏田地寄附ノ條アリ 其文ニ曰ク
自元弘到建武戰死亡卒之幽靈數萬也不弔者不可有因茲淺羽之庄之中水田十町畠田十町永代寄進之香花燈明誦經等聊懈怠不可有者也
建武三年七月十三日 源尊氏
其後永享年中當所ノ主淺羽下野守同左衞門大夫等鐮倉ニテ戰死シ 其子孫久シク流浪シテ遙ノ後永祿七年當所ニ來リ暫ク居住セシカト 又子細アリテ出テ上野國佐野庄ノ內免鳥城ニ住セリ 大旦越ヲ失シニヨリ當寺モ次第ニ衰ヘユキシニ 天正十八年小田原陣ノ時 敵ノ軍丙亂妨シテ堂宇ヲ破卻シ空地トナシ纔ニ草庵一宇ト小社一宇トヲ殘セリ 此後北南兩淺羽ノ淺羽カ子孫モイヨイヨ衰ヘテ氏神菩提寺ヲモ知ラサルニ至ルト云々 サレハ當寺モ今ハ纔法燈ヲ失ハサル計ナリ 本尊地藏ヲ安ス
古碑 客殿ノ傍ニアリ イト古質ニシテ時代ノモノト見ユ 圖左ニ
右爲壘祖淺羽小太夫有道行成朝臣其子孫等就彼故墳
梵字 德治二丁□月日七代末孫比丘□□□□寬幹□□
奉造立也狀願菩提樹茂近藤後昆本覺月朗達照幽冥也
此碑近キ頃マテ用水溝ノ梁ニ用ヒテ有シヲ 見出シテ爰ニ移シ建リト云 傍ニ貞治三年甲辰七月十七日ノ斷碑アリ |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
万福寺の板石塔婆 埼玉県指定文化財
万福寺の境内にあるおおきな板碑(板石塔婆)は、鎌倉時代に北浅羽を中心に活躍した浅羽氏が、祖先の小大夫行成の霊をとむらうために建立したものです。
板碑に刻まれた文字は、浅羽氏を知る貴重な資料です。
板石塔婆は板碑とも呼ばれ、およそ鎌倉時代から戦国時代に、祖先の冥福を祈った追善供養や、自身の後生安楽を願う逆修のため、盛んに立てられました。初期の板碑は仏や菩薩の画像でしたが、仏を現す梵字などが刻まれるようになりました。
万福寺の板碑は、鎌倉時代の徳治二年(一三〇七年)に僧の慧見が、祖先である浅羽行成のために建立し、仏の教えにより浅羽一族を導いてほしいという願いが込められています。主尊のアーンク(梵字)は、真言宗の仏である大日如来を現しています。板碑は緑泥片岩で作られ、高さ二一二cm、幅八五cm、厚さ一四・六cmです。
浅羽氏は武蔵七党のひとつ児玉党武士団の一員で、板碑に刻まれている小大夫行成(行業とも書く)の時に「浅羽氏」を名乗っています。行成の弟に次郎大夫遠広(小代氏の祖)、新大夫有行(越生氏の祖)がいます。さらに三郎行親(浅羽氏)、四郎盛行(小見野氏)、五郎行直(粟生田氏)の三人の子がありました。みな在地の地名を名字にしています。
このように、浅羽氏は北浅羽付近を本拠地にして、一族は北浅羽周辺や越辺川流域・越生あたりの入間郡北西部一帯に(入西地域)に勢力をもった豪族でした。
平成十九年三月
坂戸市教育委員会
境内掲示板
埼玉県指定考古資料
万福寺の板石塔婆
坂戸市大字北浅羽一九三
昭和四十年三月十六日指定
この板石塔婆は、高さ二・二メートル、幅〇・八メートルの緑泥片岩をもってつくられており、中央上部の梵字は、大日如来の種子で、深く鋭く刻まれていて、全体として、鎌倉時代の特徴を備えている。
銘文は、次のとおりである。
右為曩祖浅羽小大夫有道行成
朝臣 其子孫等 就彼故墳
七代末孫比丘
徳治二年丁未結制日
慧見幹緣於是
奉造立也 伏願菩提樹茂
近蔭後昆 本覚月朗遠照幽冥也
右を書き下し文にすれば
右は曩祖浅羽小大夫有道行成朝臣と其の子孫等の為に、彼の故墳に就いて、七代の末孫比丘慧見幹縁、ここにこれを造立奉る也、伏して願わくは菩提樹茂りて、近くは後昆を蔭い、本覚月朗にして遠く幽冥を照さんかな
徳治二年丁未結制日
この銘文によれば、武蔵七党の一、児玉党有道氏から出た浅羽小大夫行成らの菩提をとむらうために、その七代の孫の比丘慧見が徳治二年(一三〇七年)に建立したものである。
行成は、武蔵七党系図中の浅羽行業と同一人物と考えられ、その実在を証するものとして貴重な資料である。
平成二十六年三月
坂戸市教育委員会 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2025/08/16 13:13:05
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