みんなの御朱印
(ルルさん)
1 御朱印日:2024年4月14日 00:00 |
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御朱印 300円
(まるこさん) 12 御朱印日:2024年1月13日 10:34 |
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(もっちやんさん)
12 御朱印日:2024年1月2日 10:07 |
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(老人ギタリストさん)
27 御朱印日:2023年10月23日 08:50 |
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(sshimiさん)
14 御朱印日:2023年8月26日 10:55 |
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(あんずさん)
13 御朱印日:2023年5月14日 18:30 |
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(HIMEKOさん)
24 御朱印日:2023年4月5日 00:00 |
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(HIMEKOさん)
14 御朱印日:2023年4月5日 00:00 |
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(あきらさん)
17 御朱印日:2023年3月29日 16:34 |
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(なつきさん)
0 御朱印日:2023年3月21日 00:00 |
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住所 | 神奈川県藤沢市片瀬3-13-37 |
五畿八道 令制国 |
東海道 相模 |
アクセス | 湘南モノレール湘南江の島 徒歩2分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0466-25-7357 |
FAX番号 | 0466-25-7358 |
公式サイトURL | http://ryukoji.jp/ |
御本尊 | 日蓮聖人像 曼荼羅 |
宗派 | 日蓮宗(霊跡寺院) |
創建・建立 | 延元2年(西暦1337年) |
由来 | 霊跡本山 寂光山 龍口寺 縁起 鎌倉時代、日本は内乱や大震災・飢饉疫病の蔓延など、まさに地獄の様な悲惨な状況にあり、それらを憂えた日蓮大聖人は『立正安国論』を著し幕府に奏上し、法華経の思想に基づく国家の安寧と民衆の救済を提起した。 しかし、幕府は政策への中傷と受け止め『貞永式目』の「悪口の咎」に当たると解釈し、文永八年(一二七一)九月十二日、鎌倉松葉ケ谷の草庵で説法中の日蓮大聖人を捕らえ、市中引回しの上、この龍ノ口の刑場に連行した。日蓮大聖人の場合、幕閣による評定(裁判)を経ず刑場に連行した為、幕閣からも異議が出され、処刑中止を求める意見が多く、幕府は夜半に至り龍ノ口の刑場へ処刑中止の使者を送った。 その間にも刑場では評定の結果を待ちかねて、十三日の子丑の刻(午前ニ時頃)、日蓮大聖人を土牢から引き出し、敷皮石に座らせ、斬首の準備を整えた。 その瞬間、江ノ島の方より満月のような光りものが飛び来たり、執行人は目がくらみ、畏れおののき混乱の中、使者が到着し斬首の刑は中止となった。 その後、幕府の面目もあり、佐渡島へ三年間流罪となったが、この大法難によって日蓮大聖人は「上行菩薩の再誕・法華経の行者」としての信念を一層深められ、その後、数々の重要な法門を著述された。 この霊場は延元二年(一三七七)、直弟子の日法上人が刑場後に敷皮堂を建て、自作の祖師像を安置したのが始まりであり、大聖人自ら『龍ノ口に日蓮が命をとどめおくことは法華経の御故なれば、寂光土ともいうべきか』と獅子吼された随一の霊場である。 (境内掲示板より) 日蓮聖人(1222~1282)がご入滅(死去)された後、直弟子の日法聖人が、延元2年(1337)に「龍ノ口法難の霊跡」として、一堂を建立し、自作の日蓮聖人像と、首の座の敷皮石を安置したのが、寂光山龍口寺の始まりです。 日蓮聖人の四大法難(松葉谷・伊豆・小松原・龍ノ口)の中でも、屈指の霊跡とされる龍口寺は、篤信者であった島村采女が慶長6年(1601)に土地を寄進され、諸堂・境内地が整い、現在まで連綿と法灯を継承しています。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 日蓮宗橘 |
更新情報 | 【
最終
更新者】ポチョムキン 【 最終 更新日時】2022/05/15 07:16:28 |