みんなの御朱印
直書き御朱印を頂きました。
(たくちゃんさん) 39 御朱印日:2021年1月1日 00:00 |
|
(ぶうやんさん)
34 御朱印日:2018年11月11日 15:00 |
|
(うめさん)
16 御朱印日:2017年4月3日 01:00 |
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていませんみんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていませんみんなの参拝記録
|
|
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 埼玉県ふじみ野市長宮2-2-4 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 東武東上本線上福岡 徒歩17分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.nagamiya-hikawa.or.jp/ |
御祭神 | 須佐之男命・櫛稲田姫・大己貴命 |
創建・建立 | |
旧社格 | 旧村社 |
由来 | 境内掲示板
長宮氷川神社 神明型の石鳥居が立つ氷川神社は、通称長宮様と呼ばれている。縁起書によれば、長徳元年(九九五)に出雲国から祭神を遷して祀ったものとあり、祭神は三神で須佐之男命・櫛稲田姫・大己貴命である。また、昔、鳥居前の参道沿いに人家が立ち並び「長宮千軒町」と呼ばれる町並みがあったが、いつの頃かその町並みは消滅したと伝えられている。 社殿の造営は、天正十九年(一五九一)にあったと伝えられ、その後、江戸時代を通じて再営や修復が行われたことが記されている。 貞享四年(一六八七)~元禄三年(一六九〇)には、当時の領主であった旗本布施五兵衛が、力量感あふれたみごとなえきばえの白馬を描いた大絵馬など三点を奉納している。 明治五年に村社となったが、社殿は荒廃していたので明治二十六年に再建の計画が立てられ、翌年落成しこれがほぼ現在の社殿となっている。 例祭は十月一日で、ほかに祈年祭大祓(茅の輪くぐり、七月三十一日)や歳旦祭などが行われる。 平成五年三月 |
神社・お寺情報 | 境内掲示板
長宮氷川神社 長宮氷川神社は、江戸時代中期に記された由緒書などの記録によれば、平安時代中期の長徳元(九九五)年北面武士の星野信秀が出雲大社から祭神(建速須佐之男命・奇稲田姫命・大己貴命)を当社に勧請(神を移すころ)したことに始まる。「長宮」の名称のもとになったと伝わる参道は、四丁十六間(約四六五メートル)に及び、民家が軒を連ねる様子から「長宮千軒」と呼ばれたという。 江戸時代には福岡村・中福岡村・福岡新田の鎮守になり、明治時代に福岡村の村社に指定された。明治四十年代の神社合祀で、天神社・愛宕社・日宮社などが境内に移された。 拝殿に奉納された江戸時代前期作の絵馬四点が、市の文化財に指定された。 一 福岡村地頭布施家奉納の絵馬(三点) ①白馬の絵馬 貞享四(一六八七)年八月 ②高砂の絵馬 元禄二(一六八九)年四月 ③金地の絵馬 元禄三(一六九〇)年十月十八日 (昭和四十五年五月二十日指定) 二 向かい天狗図絵馬 寛永年間(一六二四~一六四三)奉納の絵馬で、埼玉県内でも最古の部類に属す。 (平成十三年十二月二十五日指定) 平成十七年十月一日 ふじみ野市教育委員会 境内掲示板 天保七年(1837)長宮氷川神社~江戸市ヶ谷迄道略図 天保七年(1837)江戸市ヶ谷に屋敷のある福岡村の旧領主、布施家迄の略図をしたためたもので、川越街道の裏道を通りながら和光市付近にて街道と合流し、白子、下練馬の両宿を経て椎名町、市ヶ谷方面へとぬける近道を示したもの。川越裏街道は鎌倉古道ではないかと見られている。 (長宮氷川神社文書より複写、平成19年8月吉日) 境内掲示板 出会いの泉 建速須佐之男命は、簸之川のほとりで、上流から流れて来た箸を見て、河上に人の住んでいることを知り、訪ねのぼっていき、脚摩乳命、手摩乳命夫婦と、その娘・奇稲田姫に出会った。 そして、奇稲田姫が、八岐大蛇の生贄にされようとしていると聞き、須佐之男命は、八岐大蛇を退治して、奇稲田姫を救い、妻に迎えたと神話は記している。 その神話をもとにして、河上の泉の流れで、須佐之男命が、奇稲田姫とはじめて出会ったときの情景を想像し、創作されたのがこの出会いの泉である。この泉から流れる水は、神話にあやかり、「愛」と「勇気」と「英智」を多くの人々に恵み授けてくれるだろう。 尚この「出会いの泉」には、境内八社の神々にちなみ、「八ツの流れ」があり、それぞれの御神徳があります。 上流より 八雲神社 緑結び、夫婦和合、家内安全、厄除 諏訪神社 五穀豊穣 愛宕神社 火難除 日ノ宮神社 出世、開運 天神社 学業成就、合格祈願 八幡神社 交通安全、勝利祈願 稲荷神社 商売繁盛 疱瘡神社 病気平癒 手水石の概要 原産地 茨城県 石名 稲田乃御影石 重さ 十三トン、長さ五メートル一五センチ 幅 一メートルー三センチ 柳沢豊郷作 境内碑 長宮氷川神社 境内外整備竣工記念碑 当社は、建速須佐之男命、奇稲田姫命、大己貴命、の三柱を祀り今より約一千年前、一条天皇の御代に御創立と伝えられ福岡郷の開発と民生安福祈願の為に祀られた三福岡村の総鎮守であった。今や当社は上福岡市を中心とした近郷近在の崇敬者の精神的拠り所である。古い社歴と由緒ある長宮氷川神社の尊厳を維持し、かつ昂揚せんとするは、我々現代に生きる者の使命である。この度、上福岡市政施行、並びに中央土地改良事業の完成を機に、長宮氷川神社、境内外整備奉賛会を昭和四十七年十二月に設立し御社殿並びに境内社の改修、玉垣の造営、参道の整備、植林等の事業を計画、敬神の念篤き多くの市內外の氏子民、及び崇敬者の協賛により、約五年余の歳月に亘り整備事業も順調に進捗し、昭和五十二年十月本事業の竣工を見た。茲に之の事業を未来永劫に伝えるべく記念碑を建立する。 昭和五十二年十月吉日 撰文 宮司 星野倶慶 境内碑 記念碑 当神社の大鳥居移設及び大幟ポール新設工事は、崇敬の念篤き八百六十三名の氏子崇敬者の協賛を得て、順調に進捗し、平成五年の皇太子殿下御成婚並びに伊勢の神宮式年遷宮の御歳に竣工をみた。 茲に事業の趣意を記し永く紀念の碑とする。 趣意 当神社の象徴として聳え立つ神明型の大鳥居は 大正四年、御大典記念として、旧三福岡の氏子によって建立され爾来八十余年を経るも、昭和四十五年の福岡中央土地改良事業に依り、道路の拡張に由る交通量の増加に伴い、地盤沈下が激しく倒壊の恐れがあるため、現在地に移設した。 また、明治二十七年に奉納された旗杭に、常設のポールを新設し若干名で容易に揚げるようにし、約五十年振りに御神域に大幟が翻った。 我々、氏子崇敬者は先人たちが育んできた氏神様を中心とした伝統的な「日本のこころ」を引き継ぎ、又次世代へ継承していなねばならない。 明治天皇御製 わがくには 神のすゑなり神まつる 昔のてぶりわするなよゆめ 平成六年十一月吉日 撰文宮司星野昌弘 境内碑 御鎮座一千年記念事業竣工乃碑 " 当長宮氷川神社は、平成七年、御鎮座一千の佳年を迎えた。この慶賀を奉祝すべく、平成八年四月に一千年記念事業奉賛会を結成、三ヶ年計画により社務所の新築、神楽殿の移築、御末社屋根等の改修工事に着手、幸いにして、市内外の氏子崇敬者一九七〇名余の赤誠溢れる奉賛により、平成十一年四月、諸事業の竣功をみた。茲に事業の概要を刻し、永く記念の碑とする。 平成十一年十一月吉日 宮司星野 昌弘 " 平成十一年十一月吉日 宮司 星野昌弘 新編武藏風土記稿 入間郡福岡村 長宮氷川社 三ヶ嶋村長宮明神ヲ勸請セシナルヘシ 是モ和泉カ持 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2024/08/04 17:03:36 |