茨城県常陸太田市上利員町2084 五佛山 五智院 鏡徳寺の写真1
茨城県常陸太田市上利員町2084 五佛山 五智院 鏡徳寺の写真2
茨城県常陸太田市上利員町2084 五佛山 五智院 鏡徳寺の写真3
 4.1

五佛山 五智院 鏡徳寺  (ごぶつざん ごちいん きょうとくじ)


茨城県常陸太田市上利員町2084

みんなの御朱印

(忍さん)
9 御朱印日:2023年11月25日 15:15
(ひでパパさん)
18 御朱印日:2023年10月31日 00:00
(thonglor17さん)
16 御朱印日:2023年9月16日 09:50
関東八十八箇所・第32番札所
(atsushiさん)
22 御朱印日:2019年12月31日 10:00
関東八十八ヵ所霊場 第32番
(しんのすけさん)
23 御朱印日:2019年10月26日 11:30
(チャチャチャさん)
21 御朱印日:2019年7月21日 00:00
関東88霊場-32番 参拝日:2018年5月5日 02-B12
(phai0317さん)
14 御朱印日:2019年7月13日 21:13
(たけちゃん⚾さん)
26 御朱印日:2017年10月26日 00:00
(キノさん)
28 御朱印日:2014年3月16日 00:00

自分の御朱印

まだ御朱印が登録されていません

みんなの動画

自分の動画

まだ動画が登録されていません

みんなの参拝記録

札所:関東八十八箇所・第32番 御朱印:300円
(優雅さん)
おすすめ度: ★★★
1 50 参拝日:2016年10月2日 14:42
(忍さん)
おすすめ度:
0 11 参拝日:2023年11月25日 15:15
(thonglor17さん)
おすすめ度: ★★★★★
0 27 参拝日:2023年9月16日 09:50
(zx14rさん)
おすすめ度: ★★★★★
0 34 参拝日:2023年7月22日 13:21
関東八十八箇所・第32番札所
(atsushiさん)
おすすめ度: ★★★★★
0 62 参拝日:2019年12月31日 10:25
(しんのすけさん)
おすすめ度: ★★★★
0 61 参拝日:2019年10月26日 11:30
(さるさん)
おすすめ度: ★★★★
0 69 参拝日:2019年7月21日 12:12
(チャチャチャさん)
おすすめ度:
0 67 参拝日:2019年7月21日 12:00
(ミカオさん)
おすすめ度:
0 1 参拝日:2018年3月11日 00:00
(たけちゃん⚾さん)
おすすめ度: ★★★
0 184 参拝日:2017年10月26日 00:00

自分の参拝記録

まだ参拝記録が登録されていません

基本情報


※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 茨城県常陸太田市上利員町2084
五畿八道
令制国
東海道 常陸
アクセス JR水郡線野上原 徒歩52分
御朱印授与時間
電話番号 0294-76-9529
FAX番号 0294-76-9071
公式サイトURL
御本尊 十一面観世音菩薩
宗派 真言宗智山派
創建・建立 大同年中(806~810年)
由来 ​寺伝によれば大同年中(806~810)、慈覚大師の開山で、自ら本尊十一面観世音菩薩を彫ったといわれている。昔より安産開運の観音様として厚い信仰を受けている。

後の承久元年(1219)、京都醍醐寺座主、僧・光賓が東国巡礼の際に、五色の紫雲がたなびくのをみて感得され、土中より五仏と円鏡を発見した。そのことから五彿山鏡徳寺と改名したと伝えられている。その後、一時衰微したが、正安3年(1301)、僧・賢海によって再び中興され、中世期に於いては常陸の国をはじめ会津相馬にかけて十二ケ寺が賢海法流の寺として鏡徳寺の末寺であった。

開基帳によれば、寛文3年(1663)、御朱印十五石、常陸の囲を中心に奥州陸奥の他にかけ、末寺門徒を含め二二五ヶ寺を有していたとある。しかしながら再度の火災により伽藍什宝等は総て焼失していて現存しない。昭和9年本堂を再建、その後庫裡、大師堂を建立、近年では本堂の大改修と客殿の建立が行われ伽藍が整っている。

境内碑
五佛山五智院鏡德寺沿革誌
当山は上利員余城内にあり真言宗智山派に属し五佛山五智院鏡德寺と号する。鎮護國家萬民安穏を祈る道場たり。 寺傳によれば大同元年(八〇六)慈覚大師の開山にして、自ら御本尊十一面觀世音菩薩を彫り刻む。承久元年(一二一九)京都醍醐寺座主光寶大徳中興の開基東國巡化の砌り山上に五色の紫雲たなびきて大徳不思議の御山と思ひたり。時に土中より五佛と鏡を発見す。これを緣起として五佛山鏡德寺と改稱せらる。その後一時衰微されしも正安元年(一三〇一)賢海僧正によりて再び中興されるに至った。中世期においては常陸國戸崎蓮光寺、上江戸玉泉寺、小里降真院、寺沼如意輪寺、下野國小栗永興寺、佐貫光徳寺、武茂地蔵院、大山田昇覚院、奥州の会津自在院、同所安見観音寺、相馬勧善寺、岩城恵目寺の十二寺が賢海僧正の法流の寺として鏡德寺の末寺であった。また、明応より天正期にかけて京都醍醐寺の僧侶が東國下向し有力な真言宗寺院の再編教化を図り、天正四年(一五七六)醍醐無量寺の尭雅僧正が来寺し俊範に印可を授与している。尭雅僧正関東下向記録(三宝院文書)の四度目下向の記録には「天正四年十月十日去三日御付云々於佐竹鏡德寺印可於此所越年」とあり「常山文集拾遺」には次の詩がある「和鏡德寺独笑和尚戯結一頌韻」。このことからも当寺は東國における有力な真言寺院たるは歴然たり。世々國主の帰信篤く寛文三年(一六六三)開基帳によれば特に御朱印先高十五石寺内二十八石余を寺領寺格は水戸領内眞言寺に於て上通り特禮格院に列する。更に常陸國内を中心に奥州陸奥の地にかけて末寺門徒寺を含め二百二十五ヶ寺に及ぶ名刹也。然りと雖ども時に降替ありき寛永十二年(一六三五)不幸にして諸堂伽藍火災により悉皆灰燼に帰せり。其の後堂塔伽藍往時の威容に建立せしも貞享天保の幕藩の寺社改廃統合により衰微を辿りぬ。因に西塩子福蔵院等々近隣寺院を本寺に統合す。
加之明治十七年再度の火災により山門を残すのみにて伽藍什寶悉く焼失す誠に沈痛の極み也。当山第六十二世榮教和尚捲土重来を期し先ず本堂建立を発願檀信徒一体となり昭和九年に宿願成就せり。其の後現住職に至り庫裡の再建、弘法大師一千百五十年御遠忌の記念事業として大帥堂を建立す。年々新盆供養のため御施主様各位の菩提心により本堂内陣荘厳のため佛具の新調更に延命地藏大菩薩、御水屋、宝篋印塔の建立等、着々充實への道を辿り来れり。此度は興教大師八百五十年御遠忌奉修記念事業として本堂の改修、客殿の建立、庫裡廊下の瓦葺替え工事等々佛心篤き檀信徒各位の御協力による復興の意氣益々盛にして昔日の威容を具現すべく只管興隆に向って百尺竿頭に一歩を進めんとす。
尚当地は名鍛刀家大村加卜御前打ちの地にて貞享二年(一六八五)水戸義公の命により鍛刀せり。星霜三百余年前也。之を記念し昭和六十三年秋那珂湊市関山豊正氏碑を當寺に建立す。本年は時恰も中興開山興教大師八百五十年御遠忌に当り之を記念し謹誌す。
 平成四年十一月吉日
   鏡德寺第六十三世
     中僧正木内良雄 代
       為大貫家先祖代々萬靈魂供養
        大貫瀧之介遺志継承
        那珂湊市
         大貫直俊謹書建之
神社・お寺情報 札所:関東八十八箇所・第32番
詠歌:ありがたや くじのこほりの かみとしの ごぶつのやまに しうんたなびく
真 言:おんろけいじんばらきりくそわか

鐘銘
五佛山鏡徳寺梵鐘銘
前の梵鐘の銘に依れば承徳三年癸亥に鋳造され寛永十二年乙亥火災のため焼失その後慶安元年戊子に再鋳されしも享保十八年癸巳三月吉日改鋳鋳物師水戸太田齊藤助衛門宗周の銘鐘なり
然るに大東亜戦争により昭和十九年六月国に献納す此の度當山開山寺伝千二百年を記念し檀信徒各位の善提心に依り鋳造建立す

境内碑
本堂再興記念
鏡徳寺伽藍再興碑
夫惟一切萬法實相者縁謝即滅機興即生也顕現性德
垂護佛力而爲正法紹隆哉 五佛山鏡徳寺者大同年
中草創慈覺大師而 順徳帝承久元年為開山醍醐山
座王光寶大徳累世國主有歸信特賜朱印十五石伽藍
堂塔巍然誇輪奐之美觀然而星霜推移極遷轉矣
明治十七年罹猛火災殃歸梵宇什寶烏有焉有縁者以
久爲恨憾也茲檀徒相胥企圖本堂再建之恵業勸縁募
金同心協力辛苦盡瘁昭和四年起工同七年八月竣成
工費五十宥餘金盖斯洵可謂浄財功徳之結晶矣
仰乞佛天歓喜而永擁護法城遠愛愍蒼生為現當二世
成就圓滿也鐫芳徳于石以為記念云爾
 昭和九年三月 宗祖御遠忌讃仰日
  當山法統第六十二世現董密乘沙門榮敎撰書

境内碑
鍛刀家大村加卜御前打の地
大村加卜は駿府の生れで大森治部左衛門と称し後に仏門に帰依し入道名を加卜安秀といった 加卜は越後高田藩主松平光長に仕えた外科医で刀剣作製は趣味による余技であった 加卜は作刀に 越後幕下士 予非鍛冶 真十五枚甲伏 慰作之 と刻銘している 加卜はこの頃 七、八度も肥牛を水戸藩駒込別邸に引き来り 自作刀で牛頭を切断 解体して食用とし水戸義公に献上した また公の賓師朱舜水先生えも贈った 舜水の加卜宛の礼状が朱舜水文集にある 牛骨の硬度は人骨の十倍と云う 加卜刀に大業物として喧伝された 加卜はその著剣刀秘宝に 予は士なるを以て多くを作らず正保元年より貞享元年までの四十一年に漸く百腰程を鍛作したが代価を求めず と記している かくするうちに 高田藩に騒動が起った後嗣の争いである 天和元年六月 五代將軍綱吉はこれを親裁し 光長は除封 家老は厳罰に処せられ 加卜も又退転の身となった 義公は退転後の加卜を招聘し鍛刀を命じた 加卜は当鏡得寺に滞留し 江戸より下坂國博 山本安國の二工を呼び寄せ斉戒して御前打の準備を行った 加卜の志すところは飽く迄も実戦刀の制作であった 貞享二年正月当寺において御太刀二口を製鍛して 水戸藩の武庫に納めた 義公これを嘉賞し 加卜に葵御紋付の時服一襲 國博 安國の両名にも白銀チ枚ずつを賜った 加卜は義公の重臣藤田将監のためにも刀二口を製作した その一刀が行徳剣である 加卜の弟子となった水戸刀工に 川村卜伝 石井利重の二工がいる いずれも業物である 鍛刀術の理論家加卜は誇り高き武士であった 星霜三百余年 加卜の御前打を記念し その旧蹟に建碑するものである
 昭和六十三年秋 関山豊正撰文
         加藤木春嶽謹書

境内掲示板
鏡徳寺の大銀杏
樹齢約七五〇年 幹回り約七・六m
 県内一の樹高三十三mを誇っていましたが、樹勢の衰えにより平成二十年に現在のような形に切られました。鏡徳寺の何度かの火災の痕跡を残しながら徐々に回復してゆく姿に、この木の持つ強いエネルギーを感じてほしいと思っています。
  上利員町会
例祭日
神紋・寺紋 未登録
更新情報 【 最終 更新者】thonglor17
【 最終 更新日時】2023/09/23 19:30:36
 
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々はこちらよりお気軽にご相談ください。

近くの神社・お寺

近くのお城

このエントリーをはてなブックマークに追加 フォローする

通報

※「情報が異なる」「迷惑情報」を発見された方は、通報するを押してください。

神社・お寺検索

※は必須です
 
 
*
*

 
 
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録はこちら

サイト内全検索

最近検索された神社・お寺

馬頭観世音菩薩  素鷲神社  諏訪神社  十一面観音堂  観行院慈眼寺  稲荷神社(下高井戸八幡神社境内社)  天祖神社(下高井戸八幡神社境内社)  御嶽神社(下高井戸八幡神社境内社)  祖霊社(下高井戸八幡神社境内社)  大豆田湯泉神社  鎮国神社  飯繩山神社  京田神社  熱田神宮 別宮 八劔宮  宝性寺 越谷別院  篠根神社  天満宮(上高野神社境内)  稲荷社(上高野神社境内)  今宮大杉神社(神明神社境内)  猿田彦大神(天神神社境内)  大杉神社(幸宮神社境内)  八坂神社(幸宮神社境内)  小御嶽石尊大権現(浅間神社境内)  三峯神社(浅間神社境内)  正一位稲荷大明神(浅間神社境内)  上原田八王子神社  矢黒神社  田長神社  髙山稲荷神社  日枝神社  氷見不動尊  雷電宮  鏡山温泉(上の宮)神社  健武山湯泉神社  稲含神社里宮  新山稲荷神社  雷電神社  近津神社  人吉水天宮  天下神社(八坂神社)  八ツ田阿蘇神社  正一位稲荷大明神  朝倉神社(天神社)  和南津神社  御嶽神社  八雲神社  氷川山東光院  光明寺  諏訪山普門寺  愛宕山遍照寺  阿弥陀堂  石戸地蔵堂(旧修福寺)  観音堂  阿観堂  飛龍神社  稲荷神社(鷲宮神社境内)  新川神社  那珂川八十八箇所霊場 第78番  椚田十二神社  御嶽社  田沢神明宮  大六天宮  打越弁財天  山王神社・秋葉神社  稲荷神社  梅津大神宮社  山王権現神社  青井宮地嶽神社(青井阿蘇神社境内)  青井金刀比羅宮  人吉伊勢大神宮  十六羅漢岩  鹿島神社(盛岡天満宮境内)  城山水神天狗  春日神社  山乃神神社  劔靈大權現  塩原地禄神社  清水日吉神社  西天神  竹下地禄神社  がまんさま(菊名神社境内)  羽黒大明神(八杉神社境内社)  天満宮(八杉神社境内社)  庚申塔(太尾妙義神社前)  天王神社  浅間大神(師岡熊野神社境内社)  御蔭神社  宮川神社  烏森稲荷神社  海龍山本泉寺増徳院 元町薬師堂・弁天堂  上宇内薬師堂  八坂神社(市場神社境内)  稲荷神社(西大久保八坂神社境内)  第六天・山王社・白山神社(諏訪神社下社境内社)  賀来神社境内社  鬮神社  丈六稲荷神社  横地社  英霊碑(銀杏八幡宮境内碑)  北嶽日吉神社 

何を投稿しますか?

神社・お寺検索

初めてご利用の方は、使い方をお読みください。
*は必須です
 
 
*
*

 
 
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録はこちら
※「記録を色分け」を選ぶと、参拝や御朱印の記録が地図上で色分け表示されます。(検索に時間がかかります。ログインが必要です。)