みんなの御朱印
(sugarさん)
5 御朱印日:2024年11月17日 11:30 |
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(不動明王さん)
10 御朱印日:2024年11月10日 14:00 |
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16 御朱印日:2024年11月4日 08:51 |
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15 御朱印日:2024年11月3日 18:15 |
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14 御朱印日:2024年11月1日 10:26 |
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(さかなさん)
8 御朱印日:2024年10月26日 15:28 |
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(マサさん)
13 御朱印日:2024年10月20日 00:00 |
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(マサさん)
16 御朱印日:2024年10月20日 00:00 |
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(こうさん)
15 御朱印日:2024年10月14日 12:08 |
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(こうさん)
10 御朱印日:2024年10月14日 12:08 |
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住所 | 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 東武野田線北大宮 徒歩7分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 048-641-0137 |
FAX番号 | 048-647-1213 |
公式サイトURL | http://www.musashiichinomiya-hikawa.or.jp/sp/ |
御祭神 | 須佐之男命(すさのおなみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと) 大己貴命(おおなむちのみこと) |
創建・建立 | 孝昭天皇3年(紀元前473年)4月未の日 |
旧社格 | 官幣大社 |
由来 | 江戸時代に干拓されましたが、古代より広大な見沼信仰の地に鎮座し、国土経営民福安昌祈願の為に須佐之男命と稲田姫命、大己貴命の三柱の神を主祭神としています。
大和朝廷の威光が東方に及ぶにつれ当社の役割も重要なものになりました。地政上からも、見沼により東西南北へ交通の便が良く、土地も肥沃なことから東国の基をなしたと思われます。 日本武尊は当神社に御参拝し東夷鎮定の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国を造し、千二百年前の聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められました。 武家時代になっては鎌倉、足利、北条、徳川氏等も相継いで尊仰し祭祀されていました。 明治の御代に至っては当社を武蔵国の鎮守勅祭の社とお定めになり勅書を賜わりました。そして、明治天皇は当神社に行幸し、このときの御行列は非常に荘厳で京都からの御遷都と同様の御盛儀であったそうです。その模様を謹写した山田衛居筆の氷川神社行幸絵巻物は今も当社の社宝として大切に保存されています。 新編武藏風土記稿 足立郡高鼻村 氷川神社 社地總テ九萬坪餘アリト云當國ノ一宮ニシテ古ハ殊ニ大社ナリシ故今モ大宮町大成土呂本鄕天沼北袋加茂宮ノ七村ヲ井垣ノ內ト稱セリト云 社記ヲ閱スルニ當社ハ孝昭帝ノ御宇敕願トシテ出雲國氷ノ川上ニ鎭座セル杵築大社ヲウツシ祀リシ故氷川神社ノ神號ヲ賜ハレリト武藏風土記ニ足立郡氷川神社神田百束十字田四圍觀松彥香殖稻天皇御宇三年戌辰所祭素盞鳴尊大巳貴命稻田姬合三座也ト載ルモノ是ナリ 又社記ニ云崇神天皇ノ御宇當社ヲ大社ニ定メ賜ヒ武淳川別ヲ敕使トシテ官幣ヲ賜ハリシヨリ景行天皇ノ御宇日本武尊東征ノ時モ當社ヘ御祈願アリテ夷賊平治アリシカハマスマス御尊敬淺カラスシテ四十五代聖武天皇ノ御宇一宮ノ宣下アリト三代實錄云貞觀元年正月廿七日甲申授武藏國從五位下氷川神從五位上同五年六月八日授武藏國從五位上氷川神社正五位下同七年十二月廿一日戊辰授武藏國正五位下氷川神社從四位下同十一年十一月十九日壬申授武藏國從四位下氷川神正四位下元慶二年十二月二日癸亥授武藏國正四位下氷川神正四位上ト載タレハ淸和陽成ノ御宇イヨイヨ御尊敬厚カリシコト知ラル(按ニ類聚國史元慶元年丁酉十一月三日牟差國足立郡氷川神社授正三位ト載セシハ誤リカ) 其後醍醐天皇ノ御宇日本國中大小神祇敕撰ノ時當國四十四座ノ內大社二座ノ其一ニ定メラレシ也則神名帳ニ武藏國足立郡氷川神社名神大月次新嘗ト載ルモノ是ナリ 又社記云朱雀院ノ御宇平將門叛逆ノ時平貞盛兄弟當社ヘ參籠シテ鏑矢ヲ奉テ祈願セシニ不思議ノ靈驗アリテ思ヒノマヽニ功アリシカハ神位一階ヲ增賜ハリ其後白河院永保元年崇德院永治元年高倉院治承四年等打ツヽキテ神位一階ヲ增賜ヒ又右大將賴朝祈願ニヨリ治承四年土肥次郞實平ヲシテ社頭再建アリテ社領三千貫ノ地ヲサシ置レシカ中葉戰爭ノ地トナリシ頃社領ヲ過半奪ヒ取レテ衰微ニ至リシナトイヘトコハ神主等カ工ニシテコトサラニ昔ノ大社ナルコトヲマフセシナラン今モ神職角井駿河カ所藏ノ文書ニ元龜三年小田原ヨリ出シタル掟書アレトイサヽカ社領ヲ削リシコトハ載セス先規ニ任セテ信仰アリシサマナリ其文ニ 掟 右當社中幷寺家社家橫合非分聊於有之者不撰權門卽刻小田原江可有注進遂糺明犯科人可處嚴科狀如件 元龜三年卯月朔日 江雪齋奉之 足立郡大宮 又天正二年六月廿一日小田原評定衆ヨリ出セシ狀アリソノ文ニ 大宮社人棒目安付而潮田以相目安遂糺明了 一於宮山年中祭禮之用所剪候木於自今以後者潮田相談得奉行乞請可剪之大宮之事者於武州一廉之大社に候間萬事法儀嚴重之沙汰尤候扨又宮山社中共に無所詮に木不可剪 事 一御子山之事潮田出羽守任證文猶於左馬尤も可寄進旨成下知候事 右領主之儀に候間潮田左馬尤と能々相談追日當社修理祭禮以下不可有怠慢旨依仰狀如件 天正二年甲戌六月廿一日 評定衆勘解由左衞門 康保花押 大宮社人中 又天正十九年御當代ヨリ賜ヒシ御朱印ニモ先規ニ任セテ社領百石ノ地ヲ御寄附ナサセラレシ由記シ賜ヘリ其後文祿五年伊奈備前守忠次ヲ奉行トシテ宮社ノ御造營アリ繼テ慶長九年社領二百石ヲ贈セラレテ前ニ賜フ所ト合テ三百石ヲ御寄附アリコノ時伊奈備前守全阿彌兩名ニテ出シタル添狀ノ文ニ今度大宮ヘ御社領三百石ニ成下サル但シ後ノ二百石ノ內百石ハ小破御造營ノ爲ニ除置ルヘク惣中殘リ百石ヲ以宮相聞ノ爲大社ニテ候間小禰宜三人神子二人懈怠ノ所ヲ早ク仕立ヘク候其外餘地ノ分跡々ノ如ク惣中配分有ヘシト見エタリ由テ今モ三百石ノ內百二十五石ハ社領修理料七十五石ハ神主三人百石ハ社僧五ケ寺ニテ配分ストイヘリ遙ノ後寬文七年阿部豐後守ヲ奉行トシテ再ヒ宮社オ御建立アリソノ時棟札今モ簸王子ノ社內ニアリ左ノ如シ 征夷大將軍正二位右大臣 上棟 一宮足立郡氷川大明神社 寬文七年丁未三月吉辰 從四位下阿部豐後守忠秋奉行 カク世々公ヨリ御造營アル處ナレハ宮殿以下殊ニ壯嚴ナリ 昔ハ當社ヨリ頒曆アリテソノ頃推步ノコトヲ司リシモノハ北原村ノ名主喜兵衞カ先祖齋藤氏ナリシトイヘト其顛末ヲ詳ニセス世ニ傳フ一年豆州三嶋曆ト武州大宮曆ト閏月ノ違ヒアリテ北條氏政ヨリ安藤豐前守ニ命シテ糺明セラレシカ三嶋曆ノ方正キニ極リソレヨリ武藏ノ曆ヲ停止セラルトコレニ據レハ天正ノ頃マテハ猶曆ヲ出シタルコト知ラル 神事ハ每年正月三ケ日天下泰平ノ御祈祷同月七日奉射六月十五日神輿渡シ八月十四日新嘗會等アリ其餘小祭月祭數多アリト云リ 社頭ノサマ一鳥居大宮宿ノ入口ノ右ニアリ傍ニ武藏國一宮大明神ト彫タル石標ヲ立ソレヨリ大門十八丁ヲ過テ社地ニ至ル其所ニ三鳥居立リ二鳥居ハ大門ノ中ホトニアリ大門ノ左右ハ松杉雜木竝ヒ連リテ一町ツヽノ限ニ石標アリ社領ハ素ヨリ松杉繁茂シ問スシテ古社タルコト思ヒ知ラル宮社ノ所在ハ圖ニ出シタレハ合セ見ルヘキナリ 男體社 御手洗ノ橋ヲ過テ左ノ方ニアリ宮作ニシテ二間半ニ一間半下二社モ同シ當社ハ神主岩井伊豫司トレリ祭神ハ素盞嗚尊ニシテ伊弉諾尊日本武尊大己貴命ノ三神ヲ相殿トナセリ 女體社 男體社ノ東ニアリコハ神主角井駿河持ニシテ祭神ハ稻田姬命ナリ相殿ニ天照太神宮伊弉册尊三穗津媛命橘媛命ヲ祀ルコノ四座ノ相殿アルニ付テクサクサ異說アレト附會ト覺シキ傳ヘナレハ爰ニ記サス 簸王子社 三鳥居ヲ入テ正面ニアリ當社ハ神主角井監物司トレリ祭神ハ大己貴命ト云一說ニ軻遇突智命ナリトイヘト前ニモ記ス如ク出雲國簸ノ川上ニ鎭座セル杵築社ヲ寫シテ氷川明神ノ號ヲ敕許セラレシ由傳フレハ恐クハ大己貴命ナルヘシ杵築社ノ祭神大己貴命ナル由古記ニ詳ナリ扨當所三社ノ次第ニツキテ昔ヨリ異論アリ或ハ當社大己貴命本體ニシテ男體女體ハ彼父母ノ神ナレハ攝社ニ祀リシモノトイヒ或ハイフシカハアラス男體素盞嗚尊本體ニシテ簸王子ハ火神軻遇突智ヲ祀リテ大己貴命ニアラスヨリテ當社ト女體ハ攝社ナリト此事爭論決シカタクシテ元祿十二年遂ニ公訴トナリシ時同キ九月寺社奉行戶田能登守永井伊賀守井上大和守等カ判ニテ雙方明證ナキヲ以テ此後ハ三社同格トナシテ甲乙ノ次第アルヘカラス且神主ノ次序ハ家督ノ新古ヲ以定ムヘシトノ下知アリシトナリサレハ社傳等皆區々ニシテ何レヲ正シトスルコトハ定メカタケレト寬文年中御再建アリシ時ノ棟札當社ニ納メヲカルヽニヨレハコレヲ本體トスヘキニヤ 攝社 門客人社 男體社ノ東ニアリ祭神ハ豐磐窓命櫛磐窓命ノ二座ニテ古ハ荒脛巾神社ト號セシヲ氷川內記神職タリシ時神祇伯吉田家ヘ吿シテ門客人社ト改號シ手摩乳脚摩乳ノ二座ヲ配祀スト云按ニ出雲國杵築ノ攝社ニ門客人社ト云モノ二宇アリテ東ハ櫛磐間戶命西ハ豐磐間戶命ヲ祀ル由ナレハ門客人號ハ全クコレニモトツキシナラン又脚摩乳手摩乳ノ二神ハ同所夭前社ノ祭神ナレハ爰ヘ配祀セシナルヘシコレ等ニ據テモ當所氷川社ノ簸川上杵築社ヲ移シ祀リシコト證スヘシ 末社 五山祇社 男體社ノ後ニアリ大山祇中山祇麓山祇正勝山祇䨄山祇ノ五座ヲ祀レリ一ニ五男神社トモ云 愛宕社 男體社ニ向テ左ニアリ神主岩井伊豫カ家藏ノ社內古繪圖ニハ吾妻社ト載タリ 宗像社 御手洗ノ嶼中ニアリ市杵嶋姬命田心姬命湍津姬命三座ヲ合祀ス出雲國杵築ノ社ニテハ筑紫社ト號ス 稻荷社 簸王子社ノ西ニアリ 天神社 簸王子ト稻荷ノ間ニアリ菅原道眞朝臣ヲ鎭座ス 住吉社 此地ノ入口ニアリ下竝ニ同シ 石上布留社 布都御靈神ヲ祀レリ 雷神社 神明社 第六天社 本地堂 簸王子ノ東ニアリ氷川ノ本地佛正觀音ヲ安置ス 不動堂 門客人社ノ東ニアリ 假殿 男體女體兩社ノ間ニアリ祭禮ノ時神輿ヲ假ニ置ク所トナセリ 御供所 本地堂ノ側ニアリ 神樂堂 簸王子社ニ向テ左ノ方ニアリ 太々神樂堂 同シ東ニ有 火祭跡 本地堂ノ東ノ方ナルワツカノ芝地ナリ昔每年十二月十日コヽニテ火祭ト云神事アリシカ延寶三年神主氷川內記上京シテ神祇伯吉田家ニハカリテ淸祓ニ祭リ替タリト云 神木 男體女體兩社ノ間ニアリ二圍ハカリナル杉ナリ 御手洗池 簸王子ト男體女體ノ間ニアリ中ホトニ朱塗高欄ノ板橋ヲ架スコノ池ニ蒪菜生シタレハ古キ池ナル事知ラル 神職角井駿河 二鳥居ヲ入テ東側ニ住ス物部姓トノミ傳ヘテ由緖詳ナラス土人此家ヲ小祝ノ屋舖ト稱ストイヘリ 神職岩井伊豫 駿河ノ北ニ竝ヒ住ス土人此家ヲ大祝屋舖ト唱フ家系ハ詳ニセサレト應永以下ノ寄進狀等數通所持シタレハ古キ家ナルコト論ナシソノ寄進狀ノ左ノコトシ (以下文書略) 神職角井監物 二鳥居ヲ入テ西側ニ住ス此監物カ家ハ後年駿河ノ家ヨリ分レタルモノト云三宅トモ京都吉田家ノ配下ナリ昔ハ岩井角井內倉氷川ノ四家ニテ神事ヲ司トリシカ內倉氷川ノ二家廢シテ今ノ三家ニ定メラレシナリソノ年代等ハ詳ナラス神職ノ外禰宜三人社役一人巫女二人掃除役三人アリト云 社僧觀音寺 金龜山ト號ス社僧ノ學頭ナリ不動ヲ本尊トス 社僧常樂院 社僧大聖院 社僧寶積院 以上二鳥居ノ東側ニアリ 社僧愛染院 神樂堂ノ後ニアリ此社僧ハ皆新義眞言宗ニテ比企郡三尾谷村廣德寺ノ末ニ屬セリ昔ハ寺號院號ハ唱ヘサリシニヤ天正二十年ノ水帳ニ常樂坊大覺坊東堂坊池龜坊西原坊毘沙門坊不動坊トノセタリ後年坊舍ヲ合セテ今ノ如ク一寺四院ニ定メラレシナルヘシ |
神社・お寺情報 | ○社名の「氷川」は出雲の簸川(ひかわ)に由来していると伝わっています。
○「蛇の池」の湧水が発祥の地とされます。 ○境内前の鳥居が「三の鳥居」、「二の鳥居」迄も距離が有りますが、「一の鳥居」は更に遠いので車で行くのがお勧め。神社方向の一方通行となっています。 |
例祭日 | 1月1日 歳旦祭 2月節分日 節分祭 2月7日 的神事 2月17日 祈年祭 3月15日 郷神楽 4月5・6・7日 鎮花祭 5月9日 御鎮座祭 5月21日 道饗祭 6月5日 粽神事 6月30日 大祓式 8月1日 例大祭 8月2日 神幸祭 10月9日 抜穂神事 10月21日 朔瓶祭 11月23日 新嘗祭 12月10日 大湯祭 12月11日 誓詔祭 |
神紋・寺紋 | ハ雲紋 |
更新情報 | 【
最終
更新者】秋は夕暮れ 【 最終 更新日時】2024/10/14 19:53:04 |