みんなの御朱印
(Mieさん)
22 御朱印日:2024年3月20日 23:11 |
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(Mieさん)
9 御朱印日:2024年3月20日 23:11 |
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(Mieさん)
16 御朱印日:2024年3月20日 23:11 |
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正月限定御朱印
(ステイさん) 14 御朱印日:2024年1月4日 12:00 |
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(気ままな御朱印記録さん)
15 御朱印日:2023年10月31日 20:03 |
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10月限定
(七志乃権兵衛さん) 21 御朱印日:2023年10月7日 15:39 |
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10月限定
(七志乃権兵衛さん) 20 御朱印日:2023年10月7日 15:39 |
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(忍さん)
24 御朱印日:2023年9月18日 15:40 |
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(忍さん)
33 御朱印日:2023年9月18日 15:40 |
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9月限定
(七志乃権兵衛さん) 18 御朱印日:2023年9月3日 15:22 |
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住所 | 埼玉県本庄市児玉町児玉198 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | JR八高線児玉 徒歩5分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0495-72-2656 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://www.instagram.com/kodama_hachiman/ |
御祭神 | 誉田別尊(ほんだわけのみこと)
姫大神(ひめおおかみ) 気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと) |
創建・建立 | 1063(康平6)年 |
旧社格 | 県社 |
由来 | 伝えによると平安時代後期に源頼義・義家親子が奥州征伐から帰陣のさいに立ち寄り社殿建立し、京都の石清水八幡宮より勧請したことから東石清水八幡神社となったと言う。
新編武藏風土記 兒玉郡兒玉町 八幡社 上ノ宮ト稱ス 當所及八幡山町其餘近村十六ヶ村ノ總鎭守ナリ 社傳ニ云 當社ハ康平六年八幡太郞義家奧州征伐ノ時此地ニ陣所トナシ上下ノ八幡宮ヲ勸請アリテ一首ノ和歌ヲ詠セラル 陸奧ヲ一目ニニラム武藏野ハ八幡山ニ祭ル神垣 今按ニ義家ノ奧州征伐ハ永保元年ニテ 康平六年奧州貞任宗任ノ征伐ハ賴義ナリシカ ノミナラスカノ歌義家ノ詠セラレシト云モ 外ニ傳フルコトナケレハイカヽハアラン 且相州鶴岡八幡宮ハ康平六年賴義ノ勸請スル所ニシテ 其後永保元年義家修復ヲ加ヘシコトハ東鑑ニモ見エタレハ 當社ハ其別宮ナルヲ以本社ノコトヲ襲ヒ康平ノ勸請ナトイヘル說ヲ設ケシ事知ラル サレト社地ノサマイト物古シ 舊社ナルコトハ論ナシ 神體ハ立像ニテ長一寸八分 例祭八月十四日ヨリ十六日ニ至ル流鏑馬神樂神事能等興行セリ 末社 天神 金鑽 住吉 稻荷 諏訪 天王 高良 護摩堂 御輿堂 供所 能舞臺 隨身門 別當大善院 本山修驗京都聖護院末 八幡山ト號ス 中興僧有便寬永十八年十月廿四日化ス 本尊不動 藥師堂 |
神社・お寺情報 | 境内掲示板
□縁起(歴史) 武蔵七党の一つ児玉党の根拠地であったことで名高い児玉は、郡のほぼ中央に位置し、その地内に中世の要路「鎌倉街道上道」が通る。 『風土記稿』や『明細帳』及び『児玉郡誌』によれば、当社の由緒は次のように伝えられる。八幡太郎源義家は父頼義に従って奥州征伐に赴く途中、金鑚神社(神川町ニノ宮に鎮座)に詣でて戦勝を祈願したが、その折にこの地に泊り斎場を設えて山城国(現京都府)の石清水八幡宮を遥拝した。その後、康平六年(一〇六三)に帰陣の際再び当地に立ち寄り、社殿を建立して八幡宮を勧請し、「東石清水白鳩峯」と称した。これが当社の始まりである。 鎌倉時代には、児玉党の豪族である児玉時国が当社を深く崇敬して社殿を再造し、以来、代々一族の信仰するところとなった。室町時代の後期に山内上杉氏によって地内に雉岡城(八幡山城)が築かれるが、延徳三年(一四九一)八月、その城主の夏目豊後守定基によって神領が寄進されたのをはじめ、横地左近衛尉吉春、松平玄蕃頭清宗など歴代の城主から、廃城の後は柳生但馬守はじめ歴代の地頭から神領の寄進があった。 現在の社殿は、児玉時国から数えて十五代目に当たる久米六右衛門の発起で享保三年(一七一八)起工し、同七年に完成を見たもので、延享二年(一七四五)には修理が施された。 社格は、明治五年に村社になったが、同十六年に郷社になり、更に翌十七年に県社に昇格した。 □御祭神 ・誉田別命・姫大神・神宮皇后 □御祭日 ・元旦祭(一月一日) ・霊符祭(一月七日) ・太子祭(一月二十二日)・節分祭(二月三日) ・建国祭(二月十一日)・祈年祭(三月十五日)・大被(六月三十日) ・八坂祭(七月十三日) ・慰霊祭(八月十五日)・例大祭(十一月三日)・七五三祭(十一月中)・新嘗祭(十二月十日)・大被(十二月三十一日) 境内掲示板 埼玉県指定 有形文化財 八幡神社社殿・銅製鳥居 児玉町大字児玉一九八番地 平成二年三月二十八日指定 社殿は、永承六年(一〇五一年)源義家が、父頼義に従い奥州安倍頼時征討の途中、この地に斎場を設け石清水八幡宮を遥拝して戦勝を祈願、康平六年(一〇六三年) 奥州を平定し帰途に再び当地に寄り、八幡様を勧請し白鳩峯東石清水八幡宮と称したといわれている。鎌倉時代は、児玉党の豪族児玉時国が深く当社を崇敬し、社殿を再建し代々信仰した。また、代々の八幡山城主が武運守護の神として崇拝した。 現在の建物は、時国より十五代目に当る久米六右衛門が発起人となり、享保三年(一七一八年)に起工し、同七年(一七二二年)に完成、棟梁は妻沼伝兵衛、彫刻は獅子の五右衛門と龍の茂右衛門など、当代無双の名人の手によるものである。 鳥居は、明神形青銅造、高さ五五八cm、幅六四五cm、地方稀有の青銅造鳥居で、久米清兵衛らが願王となり高名な佐野の鋳物師である井上治兵衛藤原重治、同太郎左衛門重友に造らせたものである。 埼玉県教育委員会 児玉町教育委員会 宗教法人八幡神社 |
例祭日 | 11月3日 |
神紋・寺紋 | 左三つ巴 |
更新情報 | 【
最終
更新者】zx14r 【 最終 更新日時】2024/03/23 13:25:05 |