3.3
城峯神社
(じょうみねじんじゃ)
埼玉県秩父市吉田石間4713
みんなの御朱印
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(まっきーさん)
 59
御朱印日:2023年5月3日 11:30
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(たけちゃ~ん⚾さん)
 92
御朱印日:2023年5月3日 00:00
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みんなの参拝記録
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(まっきーさん)
おすすめ度:
★★★★
0
 45
参拝日:2023年5月3日 11:30
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(たけちゃ~ん⚾さん)
おすすめ度:
0
 30
参拝日:2023年5月3日 08:15
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(thonglor17さん)
おすすめ度:
★★★
0
 59
参拝日:2021年7月17日 06:16
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(Na-kiさん)
おすすめ度:
★★★
0
 73
参拝日:2019年2月8日 00:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県秩父市吉田石間4713 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
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御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0494-24-5959 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
春日四柱
・武甕槌命 ・天児屋根命 ・経津主命 ・比賣命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
城峯神社 御由緒
秩父市吉田石間四七一六
◇平将門伝説を伝える社、祭神は春日の神
当社の鎮座する「西秩父の雄」城峯山(標高一〇三八m)は、平将門伝說につながる山として昔から知られる一等三角点を有する名山である。
天慶年中、俵藤太秀郷らによって追われ、敗走した将門は僅かの手勢を率いて城峯山に立て籠もったが、ここも安住の地ではなかった。今でも「将門の隠れ窟」と呼ばれている険阻な岩の割れ目ともいえる窟があるが、行動を共にしてきた愛妾の桔梗前によってこの隠れ窟を敵に通じられ、将門は斬られてしまったと伝えられる。
当社の創建も、このような将門伝說に重なっており、社記は「天慶五年四月、この地に逃げ行った平将門を城山にて討ちとった源秀郷が山頂下、平らな所に藤原一族の氏神である春日四柱を勧請し、また猿田彦大神を高岩に鎮座して奧宮と称し、日本武尊を鎮祭して中宮と称せり」と伝えている。
秩父には日本武尊の東征を物語る神社や山が数多くあり、地理的に見て、城峯山に鎮座する当社も古くはこれら神社のように日本武尊の伝說を有していたのであろうが、記録をとどめていない。又、秩父の山々に多いお犬信仰を持つ神社の一つに数えられ、春の大祭に御眷属神札の貸し出しが盛んで多くの人々が火防盗賊除けの祈願をし、お犬様(神札)をお借りして帰る信仰が翌年の参詣につながっている。春山の大祭当日、古木の杉並木参道に、崇敬者の”願果し”として古くから奉納される「千本旗」が立ち並ぶ様は霧靄に浮かび上がり荘厳な様相を呈する。
尚、このお犬信仰は当城峯神社から発生し郡市內御眷属信仰のある神社に拡がったとも謂われている。 |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
伝説悲劇の城峯物語(将門伝説)
関八州を平定し、その後下総の野に敗れ、この山に城を築き、名を幡武山石間城と名付け、それまで石間ケ岳といっていたこの山に城ができると里人も城峯山と呼ぶようになりました。
そこで下野田(栃木県)の豪族、藤原秀郷が兵を引き連れ、今の吉田小学校の高台に陣を張りにらみ合いになる。
このころ、将門の愛妻、桔梗はときどき城を抜けて、いずれかに姿を消すのを知り、将門は桔梗が秀郷に内通したものと思い違い怒って桔梗を斬りすてました。無実の罪で斬られた桔梗の亡霊は落城後も消えず、秋の草花はかずかず咲くが、桔梗の花だけは今も見ることができません。
”秋の七草うすむらさきの花の桔梗がなぜ足りぬ 城峯昔の物語”(秩父小唄)
将門の隠者(伝說)
今は去る一千有余年前、第六十一代朱雀天皇の御代に平将門は叔父の国香を殺して下総に館を構え「新皇」を名乗った。
これに対し朝廷側は藤原忠文を征東大将軍に任命し下野の豪族藤原秀郷と共に将門を討った。
戦に敗れた将門は一族と共に落ちのび関八州を一望に収めるこの城峯山に城を築いた。一方秀郷もまた将門を追って下吉田村に入り鶴ヶ窪城(現在の吉田小学校を中心とする場所)を築いて激しく攻めたてたが地の利に勝る将門はこれを一歩も寄せつけなかった。
ほとほと弱りはてた秀郷は或る日椋神社に賊徒平定の祈願をした所その夜半鼠の大群が城峯山に押し寄せ、一夜の中に鎧兜の紐をばらばらに喰いちぎってしまった。
この時を逃がさず秀郷は一挙に攻めたてて将門を破った。
敗走し岩窟に隠れ再挙を図った将門であったが影武者七人と共についに捕えられた。
秀郷は将門がいるのか逃げのびたかおおいに迷ったが、将門の愛妾桔梗の前を問い詰めた所ついに耐えられず 食事の時鬢の毛(こめかみ)の著しく動く人が将門なり と白状してしまった。
この時将門眼を怒らせ歯ぎしりして桔梗を睨んで 桔梗あれども花咲くな と言って果て、そのため今もこの城峯山に桔梗の花は咲かないという。
万民上下の区別なく悠久理想の国造りを志し雄図空しく花と散った将門を惜しんで今もなお人の葉の口から口へと語り伝えられている。
秩父観光協会吉田支部
新編武蔵風土記稿
秩父郡石間村
城峯山 村ノ西北ニアリ登ルコト凡ソ一里餘此山土人城山ト唱ヘ將門ノ弟御厨三郞將平ノ城址ナリト云絕嶺ニ泰平社春日社天狗社アリ此山上ヨリ上州邊ヲ眺望スルニ妙義山榛名山及ヒ利根川島川神流川等ノ景趣イトヨシ圖上ノ如シ
春日社 前ニ載ル城峯山ノ頂ニアリ長傳寺ノ持コノ神社春サキハ參詣イト多シ社ノ傍ニ小堂ヲ設ケ別堂所ヨリ守護札ヲ出ス |
例祭日 |
五月三日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】まっきー
【
最終
更新日時】2023/05/03 18:09:35
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