井上神社 参拝記録 (天地悠久さん)
「奈良坊目拙解」(享保二十年 1735年)に、元興寺南大門があり、門前に井上内親王の御霊社の神輿舎があったという「井上町」の地名由来。「元興寺古図」に神輿舎が描かれているとのこと。薬師堂町の御霊神社(北300m足らず)の旧社地であったとされます。そもそもの起こりは桓武天皇の勅命により創祀。桓武天皇御代に疫病が蔓延しその原因を「怨霊」と感じた天皇が、丁重に祀れば「御霊」となり守護してくれるという発想のもとに井上内親王が鎮められました。それが宇智郡の御霊神社 本宮。奈良の町では「御霊信仰」へと発展、供物をして、僧侶の読経、雅楽を奏したりなどする「御霊会」が盛んに。井上内親王と御子の他戸親王に、早良親王(崇道天皇)ら六所を合わせた「ハ所御霊大神」が対象。また奈良の都の南側には三つの出入口があり、「上ツ道」には崇道天皇社、「中ツ道」に井上御霊社(当社)、「下ツ道」には他戸親王社(不明)を祀り、疫病の侵入を防ごうとしました。
おすすめ度:
おすすめ度:
神社年間総合人気ランキング




神社日別アクセスランキング








新着更新









神社・お寺ニュース


