天久神社 参拝記録 (天地悠久さん)
「油江(ゆご)」という古く小さな集落奥地に鎮座。創建由緒は不明。古老伝として聖武天皇の某皇子が都から38名の臣下を率いて当地へ逃げ落ち、聖武天皇を祀ったと。「油江小字下路」には三十八社というのがあり、臣下が祀られていたとされますが、現在も存在するのか確認は取れていません。周囲に塚もあるとのこと。ところが聖武天皇の皇子というのは、文献にて確認できるのは基王のみ。しかも満一歳に満たずに薨去しています。伝承に何らかの錯誤があるのでしょうか。「油江(ゆご)」という地については、初代丹後国王 由碁理(ユゴリ)に因むものではないかと考えられる向きも。漢字は後から宛てられたのでしょうか。「加佐郡誌」などはこの「油江」内に当社と三十八社しかないと記しており、原初は由碁理に関わる社だった可能性もあるとみています。
おすすめ度:
おすすめ度: