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基本情報
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住所 |
埼玉県比企郡小川町高谷704 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR八高線小川町 徒歩29分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0493725458 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
天台宗 |
創建・建立 |
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由来 |
新編武藏風土記稿
比企郡高谷村
林昌院 遍照山高淸寺ト號ス 天台宗東叡山末 彌陀ヲ本尊トス 中興開山定賢寶永三年二月寂ス ソレヨリ前ノコト詳ナラス新編武蔵風土記稿
境内碑
本堂修復庫裡再建記念碑
當山は遍照山林昌院高清寺にして天台宗総本山比叡山延暦寺の直末にして本尊は東叡山寛永寺より勧請せる阿弥陀如来なり
寛永四年(一六二八)地頭林銅四郎徳川幕府に恩功ありて林昌院の院号を賜り開基となり僧定賢を開山としてお迎えし川南に高清寺を建立す
天保十年(一八三〇)僧恵悠の代不慮の火災に遭い堂宇宝財悉く焼失し現在地に移築これが中興との傅あれど縁起年代共に詳しからず
本堂正面「林昌院」の寺号額は三百余年前楊林堂藤善芝の書にして元禄十六年林次郎六衛知義公の寄進せるものなり
万延元年(一八六〇)清川堯詮師大阪府より轉住し寺門興隆法燈護寺に尽力す 明治五年六月三日入寂
明治廿二年池田教善師堯詮師の後任として先住職の遺志を継ぎ本院の興隆に意を尽すと特筆すべきは檀徒の墓籍を整えしことなり 昭和二年三月十七日入寂
昭和八年五月二十三日腰越能満寺より武田孝顕師を拜請し時恰も大東亜戦争に遭遇苦難の行履を経同四十二年三月本堂を改築佛恩報謝のまことを尽す 昭和五十七年十一月二十二日入寂
同五十八年四月廿四日武田孝英師晋山これを記念して裏山へ杉桧壱千本を植樹
同六十一年三月林昌院霊園開設 施工嵐山町㈲安藤石材工業
平成五年六月防砂堤築構 施工島田土建有限会社
同六年三月本堂修復庫裡再 周囲の整備
施工岡部建設工業株式会社
茲に佛法興隆と檀信徒各位の諸縁吉祥を祈念し寺傅と諸大施主の名を刻して後世にその徳業をとどむ
維持平成六年四月吉祥日
本堂修復庫裡再建々設委員会撰文
松坡渡邊康夫謹書 |
神社・お寺情報 |
境内碑
林昌院に寄せて
一 八和田かるたの読札に 林昌院の多羅葉樹 常磐なる葉は文書く葉 緑の裏に字の黒く
二 橋を渡ればお地蔵さん 左に二体おわしまし あの世に行けば弁護士に 閻魔の前に庇護賜う
三 十と三なる石段は 善男善女の老若に 十三仏の御姿を 一段毎に想えとや
四 天台宗の高清寺 本堂の奥座も高く 修復成った御本尊 阿弥陀如来の坐し給う
五 朱い屋根の大伽藍 詣る衆生は皆一つ 念願あまた身に抱き 跨くなり香をあげ
六 横の広さを限りなく 縦には悠久時の糸 交叉して成る一点は 因縁結ぶわが身なり
七 合掌礼拝朝と夕 あみだなる身は独尊に 南無阿弥陀仏唱えれば 極楽の門開くなれ
八 仰げば逞し多羅葉樹 年毎新葉の繁り 声なき声を風に聴く 葉裏に刻め歌や句も
九 田見の仕事は変りなく 家族と同じ蚕牛 稲桃大根鶏と 餌薬育む業にして
十 南を流れる蟹田川 遠くも隔つ天竺の 心を清め身を洗う ガンジス川に似たるなれ
十一 北の坂径丘の上 弥勒菩薩の碑は 生を明からめ死をも亦 因果業報弁えと
十二 伝教大師のお声なる 一隅照らす国宝は 信徒の胸に揺ぎなく 期すなり三百六十五
十三 琵琶湖のほとり西空に 高く聳えゆる総本山 延暦寺に鳴る梵鐘は 鎮護国家の響なり
可唱 鉄道唱歌の曲
平成五年四月吉日
謹詠浄書碑寄進 檀徒塚越兵司 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/05/19 10:12:55
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