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基本情報
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住所 |
埼玉県北葛飾郡杉戸町鷲巣646 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
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御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
天穂日命ほか七柱 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
鷲神社
祭神 天穂日命ほか七柱
祭儀 例祭一月二十五日
当社の創建年代は不詳であるが、かなり古いものと伝えられている。
旧社殿に残る棟札には、文化十一年(一八一四)に鷲巣村の村民が五穀豊饒を願い本社を一宇建立した旨が記されている。
明治四十三年六月、鷲巣村の浅間神社並びに荒神社、木野川村の香取神社と稲荷社を合併した。なお現在の本社々殿は昭和六十年九月に改築されたものである。
境内には、永仁七年(一二九九)の銘が刻まれた板石塔婆がある。
杉戶町教育委員会
鷲巣遺跡と鷲神社
所在地 杉戸町鷲巣六四六
鷲巣遺跡は、この鷲神社一帯の標高九~十メートルの舌状台地(人の舌のような形をした台地)に広がる遺跡群で、ここでは、縄文時代、古墳時代などの数多くの集落跡が発堀されている。
昭和五十八年には、古墳時代の堅穴式住居跡が二基、昭和六十年には、縄文時代の住居跡が一基、古墳時代の住居跡が八基と、土器(深鉢)、石斧、甕、坏、勾玉、土錘(おもり)などが発見されている。この住居発見により、近くの泉小学校では、関係者の協力を得て、古代住居(堅穴住居)を復元している。
また、鷲神社は、天穂日命を祀り、現在の本社々殿は、昭和六十年九月に改築されたものである。神社の創建については不詳であるが、かなり古いものと伝えられている。旧社殿の棟札 には「文化十一甲戌年(一八一四)鷲巣村奉再建御本社壹字村中無難五穀豊饒三月二十有四日萬民快楽諸願成就祈攸」とあった。境内にある板碑には、永仁七年(一二九九)の年号が見られる。
昭和六十二年三月
埼玉県
杉戸町 |
神社・お寺情報 |
正一位鷲大明神永代祭禮備社料寄附
天下泰平國家安全五穀成就
村中氏子家内安全子孫繁栄
鷲巢村
寛政元己酉歳四月吉祥日(1789年)
普門品供養塔 寛政二庚戌年(1790年)
青面金剛 寛政十二庚申年(1800年)
二十三夜塔 安政四年丁巳 (1857年)
鷲神社改築記念碑
鷲神社は天穂日命を祀り文化十一年再建せられ村中無難五穀豊穣
万民快楽諸願成就祈願の為祀られたものと傳えられ明沼四十三年
に堀口の荒神社及び浅間神社と木野川の香取神社及び稲荷神社を
合祀の上字名を取り鷲神社と呼称したものなりその間二百七十有
余年の歳月を経過し特に大東亜戦争後の荒廃が神社に対する影響
も大きく近年本殿が極度に腐朽破損し修理も不可能となり再建せ
ざるを得ない状況となったこの度神社境内地の一部を東京電力高
圧線鉄塔の敷地にと木野川に保有する土地を町の遊園地として売
却処分し其の代金を鷲神社改築補助金として支出する事に決定併
せて氏子崇敬者の御賛同を得て此処に新築改装し鷲神社の尊厳を
永遠に維持保全する事が出来たこの偉業を後世に傳える為記念碑
を建立するものなり
昭和六十年九月一日 撰文建設委員会 |
例祭日 |
一月二十五日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2024/05/27 08:37:11
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