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基本情報
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住所 |
埼玉県志木市下宗岡4-7-43 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR武蔵野線北朝霞 徒歩23分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
049-251-7520 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
須佐之男命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
宗岡は、上から下に向かって村が開けていき、観応二年(一三五一)には鎮守も上から下に分祀されることになった。その結果、創建されたのが当社であり、上ノ氷川神社に対し「下の宮」と呼ばれる。当社が北向きに鎮座しているのは、上ノ氷川神社の方を向いているのであり、こうした神社の配置からは、向かい合った上下の氷川神社の神恩を得て、村内の安全と五穀豊穣を願った村人の心意が感じられる。
当社の神体は、本殿下の土中に埋められた石臼の上石であるが、これは、分祀の際、一組の茶臼石の双方に年号を刻み、上下の氷川神社に一体ずつ納めたものの片割れであると伝えられているものである。この石臼は、昭和四年及び同六十一年の本殿改築の折に掘り出された時の記録によれば、大きさは直径二五センチメートル、厚さ一二センチメートルで、幅・奥行き共に約二センチメートル、深さ約一メートルの石組の中央に丁重に埋納されていた。しかし、紀年銘などはなく、大きさも上ノ氷川神社の石臼と合わないことから、恐らくは石臼が一般に普及した江戸時代に、創立の伝承に基づき、改めて奉納されたものではないかと推測される。
一方、昭和四年の改修時の棟札によれば、当社では創建の後、宝徳三年(一四五一)・延宝三年(一六七五)・安永七年(一七七八)・明治十六年の四回の再建と、宝暦四年(一七五四)の拝殿の建て替えがあり、宝暦四年の建て替えについては当時の棟札も現存する。(「埼玉の神社」より)
境内碑
下ノ宮氷川神社新築之記
其昔 我郷土ノ祖先ハ此地ヲトシ居ヲ構エ生業ヲ営マントスルヤ 先ズ天地地祇ヲ祀リ五穀ノ豊穣ト民生ノ安泰ヲ希ウヲ以テ肇トセリ
然ウシテ頭初ハ此処ニ幣神ヲ立テ神霊鎮座ノ聖域ト定メタリ 軈テ神聖ノ御加護ニ依リ五穀ハ豊カニ氏子モ富ミ且栄エタリ
由テ神恩ニ報ユルニ社殿ヲ創建スベシトノ気運頓ニ祟リ遂ニ観応二年(一三五一)ニ神殿ヲ建立 此秋ニ当リ上宗岡邑氷川神社神霊ノ分祀ヲ勧請シ其璽トシテ同社茶碓ノ上石ヲ当社本殿ノ地下ニ祀リ込メ爾来数百年連綿トシテ今日ニ至レリ
其間数次ニ亘リ増築改修等ヲ重ネ曩ニハ明治十六年(一八八三)ニ改築サレ近キハ昭和四年(一九二九)茅葺屋根ヲ銅板ニ改葺セリ
サレバ既ニ数十年ノ歳月ヲ閲シ社殿ノ損壊著シキヲ畏ミ氏子一同ヨリ社殿ヲ新築シ奉ラントノ衆議ヲ欣ビ 挙ツテ浄財ヲ捧ゲ資トナシ茲ニ恙ク新タナル神殿ノ落慶ヲ看タリ
時正ニ昭和六十一年十一月也 素ヨリ先祀ヲ尊ビ原緒ノ茶碓ヲ神殿ノ地下ニ奉奠イ万世不易ノ御加護ニ頼リ氏子ノ繁栄ト社会ノ安寧ヲ祈念シ奉ル
昭和六十一年丙寅歳十一月二十四日 撰文 金子俊一 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
・元旦祭(一月一日) ・祈年祭(二月二十一日に近い日曜日) ・例大祭(五月三日) ・八坂神社祭(七月十四・十五日に近い土・日曜日) ・新嘗祭(十一月二十三日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ロビン
【
最終
更新日時】2021/03/29 19:27:30
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