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★★★ 参拝日:2024年6月22日 09:18
★★★ 参拝日:2021年5月30日 10:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 埼玉県さいたま市西区指扇領別所364 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | JR川越線指扇 徒歩5分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0486246709 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://www.fukusyoji.com/about/index.html |
御本尊 | |
宗派 | 天台宗 |
創建・建立 | |
由来 | 境内掲示板
天台宗 慈党山瑠璃光院福正寺 ・本尊 薬師瑠璃光如来 ・高祖 天台大師 ・宗祖 傳教大師 ・開山 慈觉大師 天長五年(西曆八二八年)創建 ・総本山 比叡山延曆寺 福正寺縁起 (沿革) 當寺は天台宗比叡山延暦寺の末にして、今より千二百年前、淳和天皇の御代、天長五年(八二八)、天台宗第三代座主慈覚大師円仁師の開山により、慈覚山瑠璃光院福正寺と称し、本尊は薬師瑠璃光如来である。 創建当時は堂宇宏壮にして、本邦屈指の浄刹なりしも、往年兵火のため堂塔伽藍を焼失す。永徳三年(一三八六)に入寂せし中興永海師、堂塔の再建を謀り旧観に復すという。然るに、明治三十一年(一八九八)、再度火災に遭い、本堂庫裡等烏有に帰す。明治三十三年(一九〇〇)、民家を移築し庫裡を再建、その後、大正十三年(一九二四)、薬師堂を移築し仮の本堂とす。昭和三十一年(一九五六)、戦時中に供出せし梵鐘を再鋳し、鐘楼(文化五年建立)に掲げる。 爾来法燈を伝承せしに、漸く本堂は狭隘にして老朽化甚だしく使用に堪えざる状態となりたる為、昭和四十三年(一九六八)本堂を改築、昭和五十八年(一九八三)、山門、庫裏の新築、並びに台風により倒壊せし鐘楼を再建す。 昭和六十三年(一九八八)、福正寺墓地改修整備工事を行い、外壁、通路、六地蔵建立等の工事を行うとともに、新たに墓地管理組合を組織し、墓地管理運営の基盤作りをする。 平成七年(一九九五)、旧庫裏を取り壊し、客殿「瑠璃殿」を建立。 平成二十四年(二〇一二)、墓地継承者無き人のために、永代供養墓「壽光廟」を建立、同年、墓地隣接の駐車場を増設す。 令和二年(二〇二〇)、昭和四十三年に改築せし本堂を、矮小老朽化甚だしきにより取り壊し、新たに本堂を建立し、併せて境内を整備す。 令和三年四月 福正寺第八十六世木本清玄不羈記 |
神社・お寺情報 | 新編武藏風土記稿
足立郡別所村 福正寺 天台宗入間郡小仙波村中院ノ末 慈覺山瑠璃光院ト號ス 當寺ハ慈覺大師ノ草創ナリシト傳フレト中古回祿ノ災ニ罹リテ舊記ヲ失ヒタレハ詳ナラス 中興ノ僧ヲ永海ト稱ス 是モ寂年ヲ傳ヘス 本尊ハ彌陀ヲ安置セリ 鐘樓 鐘ハ元文五年ノ鑄造ナリ 藥師堂 稻荷社 天神社 鐘銘 當寺沿革 當寺草創は淳和天皇の御宇天長五年慈覺大師開基し給ふ所故に慈覺山と稱す曩年兵燹の爲伽藍を燒盡すその後康曆年中永海師代堂塔を建立し舊觀を復す故に同師を以つて當寺中興をなす爾後法燈を傳承せしに明治三十一年三月再び火災により堂宇殆んど燒失す後第八十四世榮照代に於て檀信徒の淨財を募り本堂庫裡を再建す 梵鐘の記 元文五年十一月當山第七十一世意玄師代鐘成にかゝる梵鐘は爾來久しく妙音を傳へ里人偏しく佛恩に報謝す然る所昭和十七年十一月太平洋戰爭中に徵發せられ暫らくその鐘音を聞かず今茲に檀信一致協力淨財を募り名鐘を再鑄して樓上に懸く音聲殷々近遠に響き法澤遍し正に是一音を聞くもの聲に因つて悟を聞き悟に因つて入道す 茲に記して後世に遺す 境内碑 福正寺本堂建設記念碑 福正寺新本堂は天台宗祖師先德鑽仰大法会の一寺報恩事業として建立されました。祖師先德鑽仰大法会とは、慈覚大師千百五十年遠忌、伝教大師生誕千二百五十年、恵心僧都千年遠忌、相応和尚千百年遠忌、伝教大師千二百年大遠忌法会であり、平成二十四年度より令和三年度までの十年間にわたり執り行われました。 當寺は天長五年(八二八年)、慈覚大師の開基し給う所により、慈覚山瑠璃光院福正寺と号します。旧本堂は明治三十一年に焼失した本堂の跡地に、大正十三年境内墓地より薬師堂を移築、昭和四十三年に改築し仮本堂とされたもので、矮小であり老朽化が進み、使用に堪えないものとなりました。 そこで、この度の大法会の嘉辰にあたり、檀信徒の総意を結集して改築を志したものであります。 時代は平成より令和に移り、また新型コロナ感染症が蔓延のとき、幸いにも仏天の御加護と檀信徒の皆様の物心両面からなる御協力を賜り、令和二年十月十一日に落慶法要を執り行うことができました。 新本堂の内内陣には、新たに檀徒各家先祖代々諸精霊位の祀堂位牌をお祀りし、日々にご供養いたしております。 ここに、この大事業を後世に伝えるため、建設委員会並びに浄財奉納者の御芳名を記し、記念碑を建立するものであります。 令和四年三月吉日 慈覚山瑠璃光院福正寺 第八十六世 木本清玄不羈 境内碑 鐘楼庫裡山門建設記念碑 日本大乗佛教の根本であるところの天台宗を比叡山にお開きになった宗祖根本傳教大師最澄上人が御年十五歳にして出家得度されましたのは宝亀十一年十一月十二日でありました 今から凡そ千二百年ほど昔のことでありました そこで天台宗と致しましては一宗を挙げて報恩謝徳の精神より傳教大師出家得度慶讃大法会を挙行することになりました 各寺院と致しましてもその記念として一寺一願の真心からいろいろと建設的な計画を實施致すことになりました 富山と致しましては昭和五十四年十月十九日に発生した台風二十号の災害で倒壊致しました鐘楼の再建と庫裡山門の新築を計画致し全檀徒に対して浄財の寄進勧募を進めましたるところ檀徒各位のご協力を賜わりその上併せて駐車場等の工事を完成することができました 昭和五十八年六月一日 福正寺八十五世 木本栄澄代 境内碑 瑠璃殿建設記念碑 『瑠璃殿』は開山慈覚大師御生誕千二百年、高祖天台大師千四百年大遠忌を中心とした天台宗祖師讃仰大法会の一寺一願運動として、祖師への報恩謝徳の為に寺檀一致協力して建立されました。當山は、天長五年(西暦八五一年)に第三代天台座主慈覚大師円仁師によって開創され、旧客殿は明治三十三年に民家を移築したものであり、すでに九十有余年を経過し、老朽化が激しく、また狭隘であり使用に耐えられなくなりました。そこで、祖師讃仰大法会の嘉辰に、客殿の建立を発願いたしましたところ、佛祖の御加護のもと、檀信徒の崇信敬祖の念篤く、絶大なるご協力を得て、ここに竣工することができました。新たに建立されました客殿は檀信徒の法要、修養等の場として有意義に利用 されますことを念願いたします。 願わくは此の功徳を以って普く一切に及ぼし我らと衆生と皆ともに佛道を成ぜんことを 平成八年三月吉日 慈覚山瑠璃光院福正寺 第八十六世木本清玄不羈 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2024/06/23 08:36:30 |