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基本情報
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住所 |
大阪府東大阪市下小阪3-5-43 |
五畿八道 令制国 |
畿内 河内 |
アクセス |
近鉄奈良線河内小阪 徒歩6分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
06-6721-6786 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
天水分神【あめのみくまりのかみ】 國水分神【くにのみくまりのかみ】 受鬘神【うけのりのかみ】 |
創建・建立 |
天正20年(1592年) |
旧社格 |
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由来 |
天正二十年(1592)豊臣秀吉の許しを得て、小坂の北の西堤村から十八軒の家がこの地に移り住み、北小坂村と称した。新たに開いた農地が水に恵まれ作物が実るよう、吉野の子守明神(吉野水分神社)と勝手明神(勝手神社)を迎えて小坂神社は創建された。
子守・勝手の両神は夫婦神とされる。子守神が女神、勝手神が男神である。
子守神の本来の名は「水分【みくまり】」という。「くまり」は「配り」であり、農業に欠かせない水の分配を司る神である。「みくまり」が「身籠り」「御子守」に変化し、子授け・安産の神、子供の守り神としても信仰された。
その配偶神である勝手神は「勝」の字から勝利の神、軍神ともされ、武士に篤く信仰されたが、一説に「勝手」は出入口を意味し、分娩を司るともいう。
つまり、一体としての子守勝手明神は生命の誕生と生育を見守る神である。
能の『嵐山』には両神が登場する。帝から嵐山の桜の様子を見てくるよう命じられた勅使が、花守の老夫婦に出会う。桜の木の下を清め、花に礼拝する老夫婦の姿を見て何をしているのかと訊ねると、嵐山の桜は吉野から移植した神木であり、木守明神・勝手明神が降臨するのだと答える。その力によって、嵐山の名を持つこの地においても、桜は風に散ることなく咲き誇るのだと語り、そして自分たちがその神であると明かして飛び去る。その夜、木守・勝手の神が現れ、舞を舞う。さらに金色の光とともに吉野の蔵王権現が顕現し、蔵王・木守・勝手の三神が同体であることを告げて、花も盛りの春を寿ぎ、世の栄えを祝福する。
葦の密生する湿地を切り拓き、日照りや水害に苦しみながら田を耕した村の人びとにとって、生命の神への祈りは切実なものだったに違いない。
なお、かつて境内に生えていた葦はみな片葉であり、諸病に効くとされた。「花の下坂名所がござる、宮に片葉の葦ござる」という俗謡はこの神社のことだという。
北小坂村は寛永十年(1633)に下小坂村へと名を改めている。
下小坂村の子守勝手明神は明治五年(1872)に村社に列し、小坂神社に改称する。
境内には三間社の末社合祀社があり、白龍稲荷大神・金刀比羅宮・豊栄大神を祀る。『大阪府全志』には末社として琴平神社のみが記されている。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
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最終
更新者】よっしぃ
【
最終
更新日時】2023/01/20 07:56:39
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