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基本情報
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住所 |
埼玉県春日部市西宝珠花327 |
五畿八道 令制国 |
東海道 下総 |
アクセス |
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御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0487480597 |
FAX番号 |
0487480597 |
公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
真宗大谷派 |
創建・建立 |
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由来 |
境内掲示板
春日部市指定有形文化財
小流寺緣起 巻子本一巻
春日部市西宝珠花三二七番地
昭和五十七年十二月一日指定
「小流寺縁起」は、浄土真宗大谷派に属し小嶋山と号す小流寺の創建記です。寛永年間(一六二四~一六四四)に江戶川を開削した関東郡代伊奈忠治と、その配下で庄内領の新田を開発した小島正重の事績が書かれ、正保三年(一六四六)に正重が同寺を建立したと記されています。跋文によると、明曆三年(一六五七)に伊奈氏の陣屋があった赤山(川口市)の草堂で執筆されました。かつての利根川は乱流しながら東京湾へと注いでいました。江戸幕府は伊奈氏を中心に治水工事を行い、利根川の流れを現在のように東流させ、新田開発、舟運路の整備を推し進めていきました。 江戸川の開削もその一環といわれています。
平成二十一年十一月
春日部市教育委員会
境内碑
開基彰徳之碑
小島正重翁影德碑
寛永十七年幕府命郡代伊奈忠治開鑿江戶川忠治奉命櫛風沐雨十餘年而成然沿岸藪澤猶多民困沮洳氏之戚屬有小島正重通稱庄右衞門者實我家祖也欲専任開拓大成伊奈氏之功乃除草莱通溝渠辛勤多年田疇漸成是爲庄内領當是時編氓鳥集而風化未洽往往粗野放逸為其俗翁慨然謂眞宗敎理真俗相資而以王法為本使斯民遵斯道無幾乎不慚爲皇国良民矣於是相江月川西上吉妻之地創建佛寺命曰小島山小流寺屬東本願寺招江戸西照寺僧玄覺為住持自研鑽其敎義化導自樂焉寛文八年四月二十八日寂壽八十有一法謚曰正濟居士翁資性精敏助伊奈氏有功矣氏之畫策一半實由翁力云今茲己未會其二百五十回忌乃欲爲開彰德法筵議之於十方有縁浴其遺澤者皆無不捨財以贊其擧矣秀賢恐事蹟湮滅撮叙其行實刻石以示後人
大正八年八月 小流寺第十二世住職
小島 秀賢撰
正五位勲四等 白倉通倫題額
關根作次郎書 |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
小島庄右衛門正重彰徳碑
小流寺開基の小島庄右衛門正重は江戸時代(寛永年間)時の関東郡代伊奈半十郎忠治の 専任の命を受け櫛風沐雨東奔西走十余年の星霜を経て、江戸川開削の大功を奏せり。依って、当山門信徒並びに旧豊岡村・桜井村・宝珠花村・富多村・南桜井村・川辺村・金杉村の諸彦〇氏が大正八年二百五十回忌の法筵を設け小島庄右衛門正重の偉德を顕彰しこの碑を建立せり
境内掲示板
埼玉県指定史跡小島庄右衛門正重墓所
小島庄右衛門正重は江戸初期の葛飾郡庄内領代官。
三河国(現愛知県)出身で、はじめ関東郡代伊奈忠次の下にいたがのち庄内領代官となる。寛永十八年(一六四一年)当時領内開発のガンとなっていた庄内古川の整備を思いたち忠治とともに十数年かけて関宿から野田にいたる江戸川の開削を成し遂げ領内の開発、治水はもとより江戸への舟運による物資運搬に大きな功績を遣した。晩年領内吉妻の地に小流寺を建立、念佛三昧の余生を送り寛文八年(一六六八年)に没した。
境内碑
趣意
当山小流寺鐘楼は古く江戸時代明和四年(一七六七年)の建立と伝えられ、その平屋破風作りの作風に往時の面影を偲ぶことができる。
爾来昭和二十六年江戸川大改修工事に伴う移転等を経て二百二十余年の才月に屋根や 脚部の損傷甚しきによりご門徒各位の浄財を募り現在地に移転修復を計る。
併せて参道の整備を行い後代に伝承するものである。
昭和五十五年十月二十三日
願主
小島山小流寺第十三世
住職 釋秀水 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2025/03/16 07:23:36
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