みんなの御朱印
39
まほろばさん
2024年4月5日 00:00
20
カツさん
2023年12月22日 10:12
33
rorexgtrさん
2020年8月12日 16:33
39
ふるかわさん
2019年2月2日 11:57
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
山口県山口市阿知須一四九六番地の二 |
五畿八道 令制国 |
山陽道 周防 |
アクセス |
JR宇部線阿知須 徒歩1分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0836-65-2202 |
FAX番号 |
0836-65-2202 |
公式サイトURL |
|
御祭神 |
(主祭神)応神天皇 仲哀天皇 神功皇后(配祀神)田心姫命 湍津姫命 市杵島姫命 |
創建・建立 |
|
旧社格 |
|
由来 |
創祀は奈良時代の天平勝宝三年(七五一)、厚東氏四代武綱が宇佐八幡宮の分霊を勧請し、古尾の地に祀ったのに始まるといわれる。こののち、鎌倉時代の天福元年(一二三三)、大内氏十五代多々良弘貞のとき、これを南北に分神して南方を吉沢に、北方を須川村長山に移して両所に仮殿を設けた。その後、建長七年(一二五五)、大内氏十六代右田太郎弘家が、南方を山村(現社地)へ、北方を須田村(現社地)へそれぞれ移し、同様な社殿を建立した。ついで、室町時代の応永十五年(一四〇八)、社殿が悉く焼失したため、大内氏二十一代左京大夫盛見は、公文・領家・地頭に命じて、同十七年(一四一〇)より再建に着手し、同年中に楼門を除いて総ての社殿の竣工をみた。残る楼門については、弘治三年(一五五七)以来、地区民が毛利氏の臣市川経好に対して行った嘆願が実り、元亀二年(一五七一)に至って漸く竣工したのである。その後、江戸時代の慶長十年(一六〇五)ごろになると社殿は悉く大破し、祭礼当日には社僧人等は路地において神事を執行するほどになった。このころ連年不作つづきで、その上疫病が流行したので、氏子中は大いにこのことを恐れた。そこで一同は再建費用を勧進をするとともに藩府からも援助を受けて、同十三年(一六〇八)に宝殿の上葺、拝殿の造営を終えた。ついで、寛永七年(一六三〇)に舞殿を、同十四年(一六三七)に宝殿を再建した。ただし宝殿については、元文六年(一七四一)、再び改築をした。明治六年(一八七三)郷社に列せられた。同二十一年(一八八八)、境内地を四段に区切り、石垣をもって整備するとともに、社殿の後方を切り開いて南北に馬場をつくった。さらに同四十年(一九〇七)には境内外に環状の競馬場を設け、大正十一年(一九二二)にはこれをさらに拡張・整備した。 |
神社・お寺情報 |
|
例祭日 |
|
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
【
最終
更新者】カツ
【
最終
更新日時】2023/12/22 20:54:18
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。