みんなの御朱印
17
やんちゃさん
2020年9月21日 14:00
11
rorexgtrさん
2020年8月10日 16:33
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基本情報
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住所 |
山口県美祢市大嶺町東分一七四四番地 |
五畿八道 令制国 |
山陽道 長門 |
アクセス |
JR美祢線美祢 徒歩11分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0837-52-0468 |
FAX番号 |
0837-53-2528 |
公式サイトURL |
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御祭神 |
(主祭神)天照大神 蛭子大神(配祀神)応神天皇 神功皇后 田心姫命 湍津姫命 市杵嶋姫命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
社伝によると、大和時代の孝霊天皇の御宇に創立し、天照大神・蛭子大神の二神を奉祀し、宇周宮又は磨能峰宮とも称した。其の後天照大神・邇々杵尊・稲田姫命・大国主神・保食神・神武天皇を合祀して稲六所の明神と崇められ、穴門国の総社となったと伝える。平安時代の仁寿元年(八五一)、勅許により位階を進められ従五位下に叙せられ官祭となる。鎌倉時代に山城国の男山八幡宮の分霊を合祀する。南北朝時代後円融天皇が永和元年(一三七五)、神田三段を寄進せられ、室町時代正親町天皇が永禄三年(一五六〇)に神田二段を献上される。この外、社領として五〇貫二〇石あったが、その後乱世となり没収された。やがて大内氏時代には、祠傍の田地数百歩を神饌料として供えられたという。江戸時代の宝暦元年(一七五一)、藩主毛利宗広が祭典を施行されるが、その後は神前に幣帛を捧げられることが常例となった。社殿については、承応元年(一六五二)、天明二年(一七八二)の再建の棟札がある。現在の社殿は、明治十二年(一八七九)、造営されたものである。『文徳實録』所載の社であることから、明治二十九年(一八九六)、社名を八幡磨能峰宮とし、同三十九年(一九〇六)、神饌幣帛料供進指定神社となる(旧県社)。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
例祭(九月第2土曜)、祈年祭(四月下旬)、新嘗祭(十二月上旬) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】matsuyoshi49
【
最終
更新日時】2019/01/01 08:14:08
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