みんなの御朱印
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていませんみんなの参拝記録
★★ 参拝日:2021年2月6日 08:20
★★★★★ 参拝日:2020年1月30日 11:01
★★★★ 参拝日:2019年8月7日 11:10
★★★★★ 参拝日:2018年6月17日 00:00
緑が多く落ち着いた感じで とても良い。
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていませんみんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 高知県高知市洞ケ島町5-7 |
五畿八道 令制国 |
|
アクセス | JR土讃線入明 徒歩2分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 088-872-2651 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.kunteki-jinjya.com |
御祭神 | 薫的大神 |
創建・建立 | 明治3年 |
旧社格 | |
由来 | 薫的和尚:寛永二年(一六二五)関白太政大臣・一条兼良の子孫、土佐の国主、一条兼定公の姻戚で随臣、池田中納言薫友卿を父とし、高知県四万十市の住人、康松安兵衛の娘、於萬の方との間に生まれた。十五才で出家得度し、二十二才まで御修行、香美郡土佐山田町楠目の豫岳寺(よがくじ)の住職となった。詩歌、俳句、絵画、彫刻にすぐれ、武術の稽古もしていたと伝えられ、身長は六尺の偉丈夫であった。後に洞ヶ島の禅宗曹洞宗瑞應寺(ずいおうじ)に移り、瑞應寺第十七世住職となった。寛文十一年旧正月十日舌を噛み切り憤死された。享年四十七才。和尚の遺骸は、瑞應寺境内、現在の薫的神社御本殿後方鎮座の霊光塔に改葬。後に薫的堂として瑞應寺境内の岩山に設けられた。明治三年(一八七〇)の廃仏毀釈により瑞應寺及び末寺四十五箇寺も廃寺になったと記録されている。薫的大神の信仰は廃仏毀釈の中、神社として存続し今日に至る。 |
神社・お寺情報 | 午前9時~午後5時迄
受付後、拝殿で祝詞奏上、玉串奉奠、御神札、お守り、ご新酒を授与いたします。 |
例祭日 | 7月29日 夏祭り 11月29日 秋祭り |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】松 【 最終 更新日時】2019/07/27 12:04:37 |