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★★★ 参拝日:2021年4月3日 11:00
鳥居参道は南西側。 駐車場は鳥居横に広めの敷地があります。 真っ直ぐ伸びた石段の上に御社殿が見えます。 拝殿内には歴史を感じる絵馬が多く奉納されており、呉市の指定文化財とのこと。 御朱印は参道石段の下側、横手の宮司様宅にていただきました。
★★★★ 参拝日:2021年1月20日 09:25
★★★ 参拝日:2023年8月4日 13:23
再度お詣りさせていただきました。 まだ茅の輪がありましたので、 半年分の穢れを落としていただきました。
参拝日:2022年12月3日 00:00
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住所 | 広島県呉市阿賀中央一丁目1番26号 |
五畿八道 令制国 |
|
アクセス | JR呉線安芸阿賀 徒歩7分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0823-71-8138 |
FAX番号 | 0823-73-1918 |
公式サイトURL | http://www.kandajinja.jp/ |
御祭神 | [祭神]
足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと) 誉田別尊(ほんたわけのみこと) 息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと) 多岐津姫命(たぎつひめのみこと) 多岐理姫命(たぎりひめのみこと) [相殿] 国常立命(くにのとこたちのみこと) [合祀] 天照大神(あまてらすおおみかみ) 大名持神(おおなもちのかみ) 少彦名神(すくなひこなのかみ) 住吉大神(すみよしのおおかみ) |
創建・建立 | 天永3年(西暦1112年)5月 |
旧社格 | |
由来 | 神功皇后が三韓よりの帰途、御解陣の砌、豊前の国、宇佐において、皇子応神天皇を御安産遊ばされ、やがて天皇とともに御還幸の途次、安芸の国、阿賀村冠崎の浜に御船係されたところ、連日悪風が打ち続いたため、同村字神達の内、神風呂(別称神経)というところに御逗留休息された。
その地続きが現在の宮地である。 そこの山裾は、もと一帯が砂浜の入り江であった。 その後、平安時代末、天永3年壬辰(1112年)5月、安芸郡加賀須浦(別称香津浦)の神経山に社殿を建立して足仲彦尊外五柱の御祭神を奉斎し、神達八幡と称え、この浦の氏神とした。 厳島文書によれば、仁安年中(1166~1168年)相国平清盛が安芸郡穏渡の瀬戸を開削するに当たり、当社に奉幣使を遣わして工事の進捗を祈願せしめた、と記されている。 永正年中(1504~1520年)に源盛勝が字神達の森峯に神殿を奉造した由が、古い棟札に記してある。 その後、天文6年丁酉(1573年)5月字神立の内、香賀須山(別称香津山)に奉移し、さらに永禄5年壬戌(1562年)6月同地の社地を広め社殿を改築し同月8日此処に鎮座して神田八幡宮と称した。 江戸時代に入り、寛文9年己酉(1669年)4月15日神殿を再建、ついで享保9年(1724年)御本殿を造立、安永7年(1778年)8月、拝殿を再建、明治23年(1890年)8月10日幣殿を再建、また、大正5年(1916年)12月17日、幣拝殿を一棟とする大改築と境内を拡張整備、昭和34年(1959年)拝殿屋根葺き替えと絵馬拝殿の改修、昭和58年(1983年)8月31日、御本殿屋根葺き替えと参集殿の建立、社務所の再建、平成14年(2002年)6月21日拝殿と手水舎の屋根葺き替えと改修し御供殿を再建、また芸予地震で損壊した鳥居を再建し、被災箇所の修復を行い今日に至る。 明治4年(1871年)社号を改めて神田神社と称し明治40年(1907年)3月19日、神饌幣帛供進使の指定を受ける。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 9月23日頃(秋分の日) |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】ごま 【 最終 更新日時】2020/01/17 16:30:54 |