みんなの御朱印
0
ゴッシーさん
2025年4月28日 12:11
20
なおちゃんさん
2024年7月19日 08:38
5
ナマケモノさん
2024年7月9日 09:35
49
サレアさん
2024年6月8日 10:20
34
♡ano♡さん
2024年2月25日 19:46
8
♡ano♡さん
2024年2月25日 19:36
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
青森県弘前市八幡町一丁目1−1 |
五畿八道 令制国 |
東山道 陸奥 |
アクセス |
JR奥羽本線撫牛子 徒歩20分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
|
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御祭神 |
誉田別命、息長足姫命、比売女神 |
創建・建立 |
慶長17年(1612年) |
旧社格 |
県社 |
由来 |
慶長十七年(一六一二)二代藩主信牧公の治世、大浦郷八幡から、それまで大浦城の鎮守と崇めて来た八幡宮をこの地に遷座致しました。古伝によりますと、信牧公が霊夢によって城の東北方に高林と呼ぶ霊地を卜定したと言われ、これが現在地である。 弘前八幡宮は弘前総鎮守、弘前城鬼門守護の藩内における最も尊貴な社として祭典の斎行社殿社地の維持管理、社家の処遇等一切藩費によって賄われた。天和二年より行はれた祭礼は弘前市立図書館に保存されている絵巻物によって当時の盛観を偲ぶ事ができます。 尚本殿、唐門は桃山時代の様式で代表的な神社建築として、昭和十一年国宝指定、現在は重要文化財建造物、棟札五枚を含む、となっております。 (青森県神社庁公式サイトより)
弘前八幡宮の草創は、平安初期 坂上田村麿が蝦夷征伐で苦戦を続けたとき八幡村(現岩木町八幡)小祠を建て、宇佐八幡宮を遥拝し武運を祈願したことに始まる。と伝えられている。 その後、二代藩主信牧公弘前城を築くに際し、城の鬼門(東北方)を守護するため、それまで百年余大浦城の守護神として崇敬されてきた八幡宮の御神体を、慶長十七年(1612)八幡村から弘前のこの地に奉遷した。この場所は信牧公が霊夢によって選定したといわれ、同時に堀越にあった最勝院をはじめとして五の別当寺院を参道の両側に建立した。 現在ある本殿と唐門は当時の建物であるが、さすがに藩主が天下泰平、藩中安穏、民心和楽の悲願をこめて造営したものだけに、東北地方では珍しい桃山様式を伝える代表的な神社建築といわれ、昭和十一年(1936)国宝の指定をうけ現行制度では重要文化財となっている。 この地に鎮座以来、弘前総鎮守の社として藩内の最も尊貴な神社の一つとなり、藩主代々の信仰も厚く、殊に天和二年(1682)から藩主在国の年(隔年)に行われた藩内最大の神輿渡御の祭礼では、全領内から百名をこえる神官の参集供奉のもとに、各町内から山車を繰り出すなど、まことに盛大なものであった。と記録されている。 明治の社寺改革により境内参道の別当寺院は移転し、八幡宮は明治六年(1873)弘前郷社に列せられ、同十三年縣社に昇格した。現在は宗教法人弘前八幡宮となっている。 なお当社奉仕の神主は、初代より小野家当主が代々これに当り、現在まで十五代、三百五十余年続いている。 (境内由緒書より) |
神社・お寺情報 |
戌🐶、🐗戌の一代様。 |
例祭日 |
例大祭:8月1日 |
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
【
最終
更新者】SFUKU
【
最終
更新日時】2019/10/27 19:08:22
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。