みんなの御朱印
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ハシビロコウさん
2024年3月29日 14:55
28
ヤマさん
2024年1月29日 00:00
12
ひでパパさん
2023年10月7日 00:00
25
ステイさん
2021年3月8日 12:00
16
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2021年1月30日 12:25
16
リックさん
2020年11月5日 13:00
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基本情報
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住所 |
群馬県館林市西本町9番59号 |
五畿八道 令制国 |
東山道 上野 |
アクセス |
東武佐野線館林 徒歩7分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0276-72-1542 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
愛宕神(アタゴノカミ)、火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ) |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
愛宕神社の社伝によれば、文武天皇の4年(700年)、修験道の開祖である役小角(えんのおづの)が京都(山城国)愛宕社の祭神「火産霊命(ほむすびのみこと)」を勧請した(霊を迎入れた)。 鎌倉時代になると、5代執権 北条時頼(ときより/1227〜1263)は当社への信仰が厚く社殿を造営するとともに別当寺「興蔵寺(こうぞうじ)」を境内に創建し、愛宕神社の管理に当たらせた。 室町から戦国時代にかけ館林の領主であった赤井・長尾・北条氏らが深く崇敬。 天正18年、館林に家康の命令で入部した榊原康政も当社を信仰。 文禄年間(1592〜1596)館林市中総鎮守と定め、敷地約5千坪を安堵し、さらに慶長7年(1602)、社殿を修復、榊原氏の祈願所とした。 寛文9年(1669)館林藩主となった徳川綱吉は、社殿をことごとく改築し、建物に葵の御紋の使用を許可した。 延宝8年、綱吉は5代将軍となったが、当社への信心さらに厚く、元禄10年(1697)には社殿を修築。以後その修理を幕末まで幕府または館林藩が行った。 |
神社・お寺情報 |
町名の由来を記したプレートの埋め込まれた石柱あり。 現在は西本町だが、昔は木挽町と言う町名。 拝殿の裏手に回ると館林町第1号古墳の頂に本殿。 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
徳川葵
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更新情報 |
【
最終
更新者】🐺⛩️🐺
【
最終
更新日時】2019/08/30 00:15:30
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