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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県桶川市川田谷6710 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線北本 徒歩37分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
048-787-0821 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
建御名方命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
【境内掲示板】
諏訪神社 御由緒
桶川市川田谷六七一〇
□御縁起(歴史)
「風土記稿」川田谷村の項に、「諏訪社 社領三石天正十九年賜ひし御朱印の文に足立郡河田谷郷の内とあり、石戸領の総鎮守なり」と載り、境内に建つ文化十三年(一八一六)の敷石供養塔にも「石戸領二十一ヶ村氏子中」と刻まれているように、当社は古来、石戸領二十一か村の総鎮守として崇敬されてきた。この「石戸領二十一か村」とは、滝馬室・原馬室・原馬室枝郷小松原・上日出谷・下日出谷・川田谷・川田谷枝郷樋詰・菅原新田・領家・藤波・藤波村枝郷古泉・中分・畔吉・小敷田・小林・石戸宿・下石戸上・下石戸下・高尾・荒井・荒井村枝郷北袋の諸村である。
鳥居に掛かる扁額の銘文によると、当社の社殿は天保八年(一八三七) 七月に再建されたが、同十五年正月に火災に遭って全焼したため、氏子の各村相計り、社殿を再建した。『明細帳』によれば、明治六年に村社となった、祭神は建御名方命である。
また、江戸時代には当社の西方五〇〇メートルほどの所にある天台宗の普門寺 (山号は諏訪山)が別当であった。
新編武藏風土記稿
足立郡川田谷村
諏訪社 社領三石 天正十九年賜ヒシ御朱印ノ文ニ足立郡河田谷鄕ノ內トアリ 石戶領ノ總鎭守ナリ 末社 稻荷社
別當 普門寺 天台宗村內泉福寺末諏訪山福聚院ト號ス 貞享五年再建ノ棟札アリ 總門中門等アリ 本尊ハ正觀音智證大師ノ作 立像ニシテ長三尺餘
寺寶 髑髏一箇 寺傳ニハ蒲冠者範賴ノ首ナリトイヘト疑フヘシ 範賴ノコトハ石戶宿村阿彌陀堂ノ條倂セ見ルヘキナリ 長刀一振 傳ヘヲ失ヒタレハ所以ハ知ラス
稻荷社 觀音堂 十一面觀音ニシテ行基ノ作ナリ 則諏訪明神ノ本地佛ナルヨシ 元祿十一年再建ノ棟札アリ |
神社・お寺情報 |
【境内掲示板】
市指定文化財 諏訪神社本殿
諏訪神社は、江戸時代には譜代大名牧野家の所領であった旧石戸領(現在の上尾市北西部から鴻巣市南西部にかけての一帯)五千石の総鎮守として信仰される神社でした。天 正19年(1591)には社領として三石拝領の朱印状を受けた記録が「新編武蔵風土記稿」に見ることができます。これにより諏訪神社は天正19年以前の創建であることがわかります。
諏訪神社本殿は、一間社流造という造り方です。身舎と呼ばれる社殿の主体部分の長さは一間(6尺=約1.82m)で、 屋根は柿葺と呼ばれる薄い板を葺いたものです。身舎は、複雑な組物と彫刻で隙間なく飾られ、見る人の目を楽しませてくれます。
造られた年代については、棟札が発見されていないため確定はできません。しかし、社殿細部に施された建築様式や発見された関連資料などから、19世紀中頃の建築であると推測されます。また、大工は地元の棟梁・新井家が深く係わっ ていると考えられています。
平成24年3月 桶川市教育委員会
【境内社】
稲荷社、白幡社、稲荷社、厳島社、三峯社 |
例祭日 |
元旦祭:1月1日
祈年祭:3月27日
春祈祷:4月1日
大祭 :8月26日~27日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/01/28 17:02:51
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