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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 大阪府大阪市西区九条1-1-17 |
五畿八道 令制国 |
畿内 摂津 |
アクセス | 地下鉄中央線九条駅下車東へ300m |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 06-6582-2211 |
FAX番号 | 06-6586-2241 |
公式サイトURL | http://www.ibarasumiyoshi.sakura.ne.jp/ |
御祭神 | 底筒男命・中筒男命・表筒男命 息長足媛命 |
創建・建立 | 寛永元年(1624年) |
旧社格 | |
由来 | 淀川や大和側の河口付近に形成された砂州は、大小の島々となって難波八十島と呼ばれていましたが、わが九条島もその中の一つでありました。 それらの島々は自然と人為が作用し合って次第に陸地化し、江戸時代になるとその周辺部は急速に新田の開発が進められるようになりました。 九条島では寛永元年(西暦1624年)ごろこあら新田の干拓工事が始められ、その完成とともに東西二十五間(45メートル余)南北七十五間(136メートル余)の境域が区画され、社殿が造営されて、産土神として新田・河川の守護神として住吉大神が祀られました。 やがて時代の推移と共に九条新田の田畑は人家となり、大正時代から昭和時代初期にかけて、西大阪の中心街・歓楽街として最も繁栄し、神社境内には常時映画館や出店があって昼夜参拝者で賑わい、氏子も四区にまたがって4萬戸を超え当神社として最盛期を迎えましたが、昭和20年(西暦1945年)三月十三日第二次世界大戦中の空襲によって神輿庫一棟を残してことごとく焼失しました。 その後、神職・氏子崇敬者が共々に復興に専念して、昭和40年に現在の鉄筋コンクリート造二階建の社殿を竣工、つづいて参集殿・渡廊・鳥居門・手水舎・石玉垣などの付属建造物を昭和46年にそれぞれ完成し、神社としての規模をようやく整えました。 なお当神社の故事については、江戸末期以降の地誌・名所図会などに種々の記載はあるものの傍証のできる記録文書に乏しく、茨住吉神社の「茨」についても菟原群住吉郷の住吉神社(現在の元住吉神社)から分祀したのでとも云い、また新田開発当時「いばら」が生い茂った荒地に祀られていたからとも伝えられますが、特定できる資料はありません。 現在、境内末社には玉照稲荷神社と市杵島姫神社があります。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】ととるし 【 最終 更新日時】2025/05/25 21:33:45 |