2.5
慈眼山喜見院満福寺
埼玉県鶴ヶ島市太田ケ谷487
みんなの御朱印
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(ソーマさん)
6
御朱印日:2025年1月1日 00:30
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(thonglor17さん)
113
御朱印日:2024年3月9日 11:17
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(うめさん)
64
御朱印日:2017年2月25日 02:00
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みんなの参拝記録
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(thonglor17さん)
おすすめ度:
★★★
0
83
参拝日:2024年3月9日 11:17
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(ニケさん)
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0
43
参拝日:2023年6月23日 13:50
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(はるあすとーちゃんさん)
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0
35
参拝日:2022年9月25日 09:35
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(トレンドさん)
おすすめ度:
0
24
参拝日:2020年12月17日 23:55
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県鶴ヶ島市太田ケ谷487 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR川越線笠幡 徒歩25分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0492850854 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
千手観世音菩薩 |
宗派 |
天台宗 |
創建・建立 |
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由来 |
境内掲示板
満福寺
満福寺は慈眼山喜見院満福寺と号し、天台宗の寺院で、本尊は千手観音です。開山、開基は不明ですが、天正元年(一五七三年)に僧舜清が中興したと伝えられています。
寺の付近には多数の中世の墳墓が確認されたお寺山遺跡が所在し、そこから板碑、蔵骨器、土器などが出土している状況から、中世の早い時期には、寺の前身となる施設がこの太田ヶ谷の地域にあったと考えられています。
毎年三月三日には大般若経六百巻を転読して、家内安全・五穀豊穣を願う大般若経会が行われ、現在でも地域の大切な行事となっています。
また、江戸時代後期には寺子屋が開設されており、明治六年(一八七三年)には本堂を仮校舎として、太田ヶ谷学校が開設されました。『郡村誌』には、その当時の生徒数は男子三十八人、女子七人と記されています。
令和五年三月
鶴ケ島市
武蔵十三佛霊場専用御朱印による説明
満福寺の沿革
開山開基は不明であるが、文永年間(一二六四~七五)創立、天正元年(一五七三)僧舜清中興、 元禄年中(一六八八~一七〇四)僧秀全中興と伝えられる。寺の付近、特にその前身が所在したとされるお寺山遺跡からは、多数の中世の墳墓が確認された他、板碑、土器などが出土している。
寺には鶴ヶ島ではここだけの古くからの鐘楼がある。この鐘楼の鐘は、明和元年(一七六四)に鋳造されたものであったが、戦時中に金属資源として供出されたため、現在二代目である。
寺は祈祷寺としての性格が濃厚で、そのためか、本尊千手観音、薬師如来、如意輪観音、不動明王、元三大師、慈眼大師、歓喜天、天川弁才天、のような強い威力を有する仏像がまつられている。現住職は三十一世である。 慈眼山喜見院と号す。 |
神社・お寺情報 |
武蔵国十三仏・第5番札所(地蔵菩薩)
宝篋印塔 寛政二庚戌歳(1790)
新編武藏風土記稿
高麗郡太田ヶ谷村
滿福寺 慈眼山喜見院ト號ス 天台宗入間郡仙波中院末 開山開基ヲ傳ヘス 本尊千手觀音ヲ安ス
境内碑
為満福寺お寺山御先祖供養菩提也
元満福寺が在ったと言い伝えられる通称お寺山の一画は中世(室町時代~江戸時代前)のお墓があったが太平洋戦後食糧増産の為開墾され現況が畑となり自作農創設特別措置法により解放され近年住宅が立ち始めたので、お寺山遺跡発掘調査が行はれ多くのお骨を発掘しました。
茲に御先祖供養の為に觀音様を建立する。
尚満福寺護寺会川越株式会社山崎石材鶴ヶ島町教育委員会の御協力による事を記す。
昭和六十年七月二十五日
慈眼山満福寺三十一世正道代 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/03/10 20:56:43
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