東京都あきる野市横沢134 金色山吉祥院大悲願寺の写真1
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 4.4

金色山吉祥院大悲願寺


東京都あきる野市横沢134

みんなの御朱印

(thonglor17さん)
0 御朱印日:2024年7月27日 08:50
東国花の寺百ヶ寺 東京 第十番
(まっきーさん)
69 御朱印日:2022年3月6日 15:00
(にゅーとんさん)
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(にゅーとんさん)
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(ひでパパさん)
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(ひでパパさん)
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(ひでパパさん)
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(thonglor17さん)
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東国花の寺百ヶ寺 東京 第十番
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(次男坊ひろちゃんさん)
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東国花の寺東京第十番
(忍さん)
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基本情報


※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 東京都あきる野市横沢134
五畿八道
令制国
東海道 武蔵
アクセス JR五日市線武蔵五日市 徒歩15分
御朱印授与時間
電話番号 0425960141
FAX番号
公式サイトURL
御本尊 大日如来
宗派 真言宗豊山派
創建・建立
由来
神社・お寺情報 東国花の寺・東京10番札所
多摩四国八十八箇所・第59番札所
(第54.55番の管理)
武蔵五日市七福神・大黒天

境内掲示板
あきる野市指定有形文化財(建造物)
大悲願寺中門(朱雀門)一棟
   所在地 あきる野市横沢一三四番地
   指定  平成七年六月一日
 棟木に記された墨書から安永九年(一七八〇)に建てられたことがわかります。
 構造は一間一戸の切妻造で、本柱の前後に二本ずつ計四本の控柱をもつことから四脚門と呼ばれます。
 随所に見事な彫刻が施されており、禅宗様建築の影響を強く受けた、江戸時代後期の貴重な遺構です。
 平成一五年一一月一日設置
   あきる野市教育委員会

境内掲示板
大悲願寺の市指定文化財
 当山は、国・重要文化財「伝・阿弥陀三尊像」、都・指定文化財「本堂」「大般若経写本」の他、市の指定文化財一〇件を所有する。個々に説明板を設けた三件を除き七件について一括概要を掲げる。
如環版木活字並びに活版本
 当山二四世住職如環の作製した木製活字並びにその活字によって印刷した活版本、寺院経営・弟子養成に出色の業績を残した如環師の創意工夫が窺われ、当山は檀林(僧侶養成寺院)であった証拠ともなる文化遺産。
  昭和四四年七月一〇日指定
金色山過去帳 六巻
 一三世海誉が筆をおこした天正期の古過去帳、二四世如環の改定過去帳、他に歴代住職が記入した明治期までの過去帳、欄外注記にみる北条氏滅亡に殉じた当地方の地侍の記録や折々の地震・大火他社会事象の記録が郷土史資料として注目されている。
  昭和四四年七月一〇日指定(三巻)
  平成四年二月二六日指定(三巻)
懐中仏
  縦 一二・二センチ
  横  八・七センチ
  厚さ 一・五センチ
 木版に不動明王と脇侍の二童子を浮き彫りにし懐中仏(携帯用の仏像)で、巧妙精緻な作品、一四世紀頃の作と推定される。
  昭和五三年一二月二五日指定
大悲願寺棟札 四枚
(1)本堂破風修造 天文十六年(一五四七)
(2)本堂の縁・天井改修 慶長二年(一五九七)
(3)金色山楼門棟札(仁王門) 寛文九年(一六六九)
(4)本堂建築 元禄八年(一六九五)
 数少ない中世期の棟札も含まれ、当山建造物の由来を実証するにとどまらず、当地方歴史文化を探るうえでの貴重な資料。
  昭和五三年一二月二五日指定
観智国師書状
 観智国師源誉存応上人(芝増上寺一二世住職)は徳川家康の信頼篤く、幕府の寺院政策に少なからぬ影響を与えた傑僧。彼は当山一三世海誉の伯父で、書簡は肉親の情愛の窺える内容。当山が僻地にあって、なお高い寺格を保持し得たのは両者の人脈が原因の一つと考えられる。
  昭和五三年一二月二五日指定
六角宝幢式経筒
 総高一四・五センチ、筒身一面の幅二・五センチ銅版製六面の経筒で、経文を入れ、経塚に埋納するときの容器。本品は天正十三年(一五八五)の刻銘があり、当時の信仰上の習俗を伝える資料。
  昭和五三年一二月二五日指定
伊奈石井戸枠
 この井戸は、「宝永二年(一七〇五)二月の庫裡裏に掘り四月完成」と当山過去帳に記されている。(現在は庫裏表にも同型の井戸がある)信州伊那とゆかりの深い伊奈石は主な切出地が当山裏山にあり、当山では墓石から長屋門の敷石まで、随所に使用しているが、伊奈石の井戸枠は珍しい。
  昭和五三年一二月二五日指定
     あきる野市教育委員会

境内掲示板
伊達政宗 白萩文書
 仙台藩主伊達政宗が大悲願寺に宛てた書簡である。当山一三世海誉上人の時代で、たまたま政宗の末弟秀雄が上人の弟子として在山したという。また政宗は川狩りを好んだともいわれる。内容は先日訪問した折、庭の白萩が見事であったが、その白萩を所望したいという主旨である。年次は「政宗公実記」より元和九年(一六二三)と推定される。
追て是式に候へ共、折節
に任せ、小袖壱重進め候。以上。
態飛脚を以て申し入れ候。
先度は参り、会面を遂げ
本望に候。仍無心の
申す事候へども、御庭の
白萩一段見事に候き、
所望致し候。 先日は申し
兼ね候て罷過ぎ候。預(使いの者に)
候はば恭かるべく候。
猶後音を期し候。
恐惶謹言
松平陸奥守
八月廿一日 花押 (政宗の書き判)
彼岸寺御同宿中
 なお、本文書は市指定文化財でありましたが、平成八年三月十八日、これを含む一万三百三十五点の資料が「大悲願寺文書」として東京都有形文化財に指定されました。
  あきる野市教育委員会

境内掲示板
市指定文化財
梵鐘
  口径  六九・五センチ
  鐘身高 一〇五 センチ
 当山一八世住職法印信盛の発願により、寛文十二年(一六七二)八月六日、横川(現八王子市)の冶工加藤五郎衛門尉宗次が鋳造。銘文は真言宗豊山派の総本山長谷寺小池坊の前住信海僧正の撰文による、江戸時代は時鐘として朝夕近隣の村人に親しまれた。
 幸いにして、第二次大戦中の供出も免れた。当地方としては鋳造年次の古い名鐘である。
 昭和五三年一二月二五日指定
   あきる野市教育委員会

境内掲示板
市指定文化財
仁王門 天井絵
 この仁王門は安政六年(一八五九)再建されたが、天井絵の作成も同年である。
 中央通路の格天井は大日如来の梵字を囲んで草木の花が描かれている。一隅に「狩野養信門人藤原善信」の銘があるが、彼は現五日市小庄の人、郷土の画家である。
 また仁王像の天井には右天女、左迦陵頻伽(極楽の鳥)が描かれている。作者は現日の出町平井千石の人森田五水。彼は幕末期狩野派画家として、多摩地域に盛名があった。北側袖天井の雲竜図も五水の手になり、見事な筆勢である。
 昭和五九年一一月二五日指定
   あきる野市教育委員会

境内掲示板
あきる野市指定有形文化財(建造物)
大悲願寺楼門(仁王門)一棟
  所在地 あきる野市横沢一三四番地
  指定  平成七年六月一日
 慶長十八年(一六一三)に建てられた後、寛文九年(一六六九)に再建されました。現在の建物は安政六年(一八五九)に建てられたものです。
 構造は三間一戸の入母屋造で、銅板葺です。両脇には仁王像が安置され、幕末期の絵師藤原善信、森田五水により、見事な天井絵(市指定文化財)が描かれています。
 また、各所に施された彫刻も見事で、幕末期の特色をよく示しています。
 平成一四年九月一日設置
   あきる野市教育委員会

境内掲示板
あきる野市指定有形文化財(建造物)
大悲願寺観音堂 一棟
  所在地 あきる野市横沢一三四番地
  指定日 平成七年六月一日
 この観音堂は「無畏閣」とも呼ばれます。寛政六年(一七九四)に建立され、文政十年(一八二七)に向拝(ひさし部分)が取り付けられました。堂の内外には各所に彫刻が飾られ、特に正面欄間の地獄と極楽を表した彫刻は見事です。
 昭和二七年に、それまでの寄棟造の茅葺から宝形造の本瓦葺に変えられていましたが、その後、柱の沈下や屋根のいたみ等が進んだため、平成一六年から一八年にかけて、大規模な修復工事が行われ、これによって建立時の寄棟造の茅葺型銅版葺で復原されました。また、外面の彫刻は色の剥落が激しかったため新たに彩色が施され、往時の姿が甦りました。堂内部の彫刻は当初の色が残されていたため、それを保護する処置が施されています。
 江戸後期の様式を留めた貴重な建造物です。
(観音堂の中には、国指定重要文化財である「木造伝阿弥陀如来及び脇侍 千手観世音菩薩・勢至菩薩坐像」が安置されています。)
 平成一九年三月一日設置
   あきる野市教育委員会
例祭日
神紋・寺紋 未登録
更新情報 【 最終 更新者】thonglor17
【 最終 更新日時】2024/07/28 10:12:32
 
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